『ALOHA PIKO』は、アロハの素を皆さんにお届けします。
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「POMAIKA'I」
新井朋子&アロヒナニ著


「聖なる光 第1弾 光臨」
美内すずえ監修
写真家 奥聖 

アロヒナニ 文章担当
 

旅 エッセイ 日本編

こころの旅  (以前、雑誌「スターピープルに書いたものです)

久高島〜誰かが私を呼んでいた〜

誰もいない浜辺、照りつく太陽、目の前に広がる海を全身で感じる。
とうとうここまで来た、何故だか安堵感が広がる。
ここに行かなくてはいけない、そう思ってたずねた場所、沖縄・久高島。
その場所が私を呼んでいた。

2002年12月、暑さに耐えきれず脱いだ冬服を手にタクシーに乗り込む。「こんなに晴れて暑いのは久しぶりですよ、お客さんラッキーですね」と運転手さん。私ひとりのために晴れたとは思わないけれど()、私は昔から天気に関しての運がとても良い。宿で夏服に着替え、沖縄在住の知人と待ち合わせる。知人が真っ先に案内してくれたのが世界遺産に登録されている斎場御嶽。沖縄初体験の私が最初に訪れる場所がここになろうとは驚きだった。私の旅の目的は久高島だったけれど、出来れば斎場御嶽にも行ってみたいと密かに思っていたことは、知人には伝えていなかったからだ。

何がきっかけになったかは覚えていないが、昨年の2月頃から猛烈に沖縄が気になり始めた。沖縄料理店に行ったり、沖縄在住の版画家・名嘉睦念さんの東京のギャラリーに行ってみたりもした。そうやってエネルギーを向けると当然のように起こってくるシンクロ。玉手箱を一つひとつ開けるように、色々な情報が飛び込んできた。その中のひとつが友人の見つけた新聞記事。そこに紹介されていたのが沖縄知念村にある斎場御嶽と久高島だった。御嶽とは神が宿る場所。聖域とは言っても、石が積み重ねてあるだけでそっけない。しかしこれこそが沖縄の人々の根強い自然崇拝の現れなのだろう。

安座真港からフェリーに乗って約15分。人口約300人の久高島は自転車で周れば一時間で足りてしまうほど小さな島だ。沖縄神話の創世神アマミキヨが国造りを始めた場所だと言われている。久高島では今でも年に30回ほどの祭祀があり、それを司るのは全て女性。沖縄の聖域は未だに男子禁制の場所がたくさんあるらしい。こういうときだけは、女性で良かった、と思ってしまう。久高島は12年に一度イザイホーという儀式を行うことでも有名だ。3041歳の女性が新たに神人となる儀式なのだが、前回の2002年と、前々回の1990年は行われなかったということだ。

フェリーを降りて貸自転車屋へ直行する。自転車を借りたのはいいけれど、道には案内図や標識というものがない。仕方がないから自分の勘だけをたよりに自転車で駆け抜ける。そういうとき、人間というものはアンテナがちゃんと立つようになっているらしい。まるで機動戦士ガンダムに出てくるニュータイプのように、おでこからビビビッと稲妻が出るのである。そのビビビッで島に点在する全ての聖域を見てやろう。本当に300人も住んでいるのか疑うほど人気のない道を波の気配を感じながら進んでいく。道の終点は誰もいない浜辺。海に浮かぶ船とここにいる私だけがこの世に存在するすべてなのでは、と錯覚するほど孤独な空間。砂の上に腰掛けて、目の前に広がる風景をただじっと見つめる。

すると、ある映像が頭の中に浮かんできた。小さな子供がふたり、仲良く遊んでいる。男の子と女の子、どうやら兄と妹らしいが両親の姿はない。男の子は四角い帽子をかぶっていて、島の王族のよう。権力争いなのか、兄妹は引き離され、兄は囚われの身に。妹は遠く離れたところに連れて行かれ、寂しい生涯を送る。「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と泣きながら暮す妹と、囚われの身になりながらも将来を考え強く生きる兄。突然思い出した過去生に、沖縄に着いて以来ずっと感じていた不安と憂鬱と寂しさの謎が隠されていた。そして、沖縄在住の知人に初めて会った時に感じた懐かしさのワケも知った。ひとりで来なくては、そう思ってここに来た。それはきっと寂しくて泣きながら暮していた弱い自分を、もっと強くなった私が受け入れるためだったのかもしれない。

翌日、過去生での兄にこのストーリーを話すと、「王子様かー、だから僕は品があるんだ!」と、思わず無視せずにはいられない冗談を口にした後、囚われの身ということから納得する部分があると言っていた。なんでも、食べものに対してすごく卑しいからだという。『千と千尋の神隠し』の中で、豚になってしまう千尋の両親を見て、自分のようだ、と思ったというのです。まあ、だからといって、私が見た過去生が絶対に本当だとは言えないし、誰かに信じてもらおうとも思わない。だけど、私自身の中では、100%の真実。

最後は素敵に締めくくりたいな。久高島は呼んでくれた、少しは強くなった私を。誰かが待っていてくれた、沖縄での兄妹の再会を。

 
 
竹 生 島
7月25日のイベントへ向けて

2003年5月、琵琶湖をぐるりと1周半する美内すずえさんの旅に同行させてもらった。
美内さんが主宰する「なにわの古代史研究会」のメンバーたちと、総勢10名の旅。
この旅は、7月25日に行われる「水への愛と感謝プロジェクト」の調査も兼ねていた。美内さんは、竹生島でこのイベントをやりたいと考えていたのだ。
2泊3日でたくさんの神社などを訪れ、最終日に竹生島へ。
琵琶湖の真ん中に浮かぶ竹生島の存在を、この旅で初めて知った私だった。
この旅の帰りの電車の中、美内さんから思いがけない言葉を頂いた。「古典フラを奉納すれば?」と。
私は、密かに7月25日のイベントに参加したいと思っていたので、本当に嬉しかった。ただ、本当に実現するのか、少し不安でもあった。しばらくしてから、美内さんから確認の電話があったときは、そのことをちゃんと覚えてくれていたことにとても感激した。
水に関する古典フラを、ということで、一生懸命リサーチした。そして、色々考えた結果、海、霧、雨、など水に関係する現象がふんだんに使われている曲を選んだ。今回、2曲踊ったうちの1曲は、自分で振り付けをした。

 
2ヶ月ぶりに竹生島へ

7月24日、新幹線で米原へ行き、そこから彦根港へ。フェリー乗り場で時間待ちをしていると、知っている顔が現れた。冒険家の石川仁さん。前回の旅で一緒に竹生島に行ったメンバーの一人。仁さんは、若干35歳の若さだけど、今までにらくだ一頭を連れて砂漠を横断したり、チチカカ湖に住み着いて、葦船で太平洋を横断したりと、すごくたくましい人。今回は、イースター島から友人のテバさんを連れてきていた。さらに、前回の旅で一緒だったサリバン先生も登場。サリバン先生は、本名は望月さんと言って、神戸でギャラリーをやっていらっしゃる女性。精神世界どっぷりで、現実世界に適応できていない人をビシバシと教育するのが得意なので、サリバン先生というあだ名がついたそう。
その他にも美内さん主催の「なにわの古代史研究会」のメンバーの人たちが続々と登場。みんなでフェリーに乗り、竹生島へ30分の船の旅。島へ到着すると、船着場横のお店で、ちょうどお昼ご飯を食べようとしている美内さんと他のメンバー達。何人かは、朝一番のフェリーで島に入り、準備をしていた。
まず、神社の宿泊場へ行き、部屋へ落ち着く。一部屋8人で、修学旅行を思い出して、とても楽しい感じ。今回は、他にも小見寺さんという、前回の旅でもお会いした方のグループが20人以上来ていて、とてもお世話になった。
竹生島は、昔は禁足地だった場所。今でも住民はいない。電気はすぐ止まるし、お湯も出たり出なかったり。水はとても貴重なので、大勢が泊まった今回は、お風呂はなるべく使わないように、ということで、2日間お風呂に入れなかった・・・。

 
見ちゃった…

道で、何人かのメンバーが「みーさんだわ!」と言って拝んでいる。私は何?と思って一緒に覗くと・・・。私がこの世で一番嫌いなにょろにょろが・・・!!
竹生島へ到着した日、にょろにょろが2ひきも発見されていた。もう1匹は、少し離れた所にいた。私がいやがっていると、「大丈夫よー、あっちのみーさんは頭がないから」と、メンバーの一人。「頭がないってどういうこと?」と聞くと、「とぐろ巻いてて、頭隠れてるの」だって。そういう問題じゃないんだって!
あー、初日から強烈でした・・・。

 
ふしぎなご縁
私はGWに厳島神社と竹生島神社を訪れた。
この2つと江ノ島神社が日本3大弁才天だと知って、これは江ノ島神社に行かなくちゃ、と思ったときに、何故か友人のYちゃんの顔が浮かんだ。
Yちゃんに、江ノ島神社に行きたいな、とメールをしたら、電話がかかってきた。そのとき彼女は仕事で伊勢に行っていた。最近、伊勢神宮別宮の、倭姫宮という神社の宮司さんと仲良くしていたYちゃんは、そのときも宮司さんと会っていたのだが、その宮司さんが、近々東京に行くので、江ノ島神社に行こうと思っていると言うので、Yちゃんはびっくりして、私に電話してきたのでした。宮司さんは、地唄舞を習っていて、横浜で行われる発表会に参加されるというので、Yちゃんと発表会を見に行き、その次の日に宮司さん、Yちゃん、そして宮司さんのお友達3人、の計6名で江ノ島神社に行った。宮司さんのお友達3人は、アナウンサー、ダンサー、ピアニスト、とそれぞれの分野で活躍されていて、とても素敵な女性達だった。
そして、美内さんから奉納する出演者のリストが届いたとき、びっくり。そこには宮司さんの地唄舞のお師匠さんの名前が!早速宮司さんに報告すると、見にいきます!と大張り切り!そして、竹生島で、江ノ島神社で出会った女性3人のうちの2人に会えたのでびっくり! ダンサーのルナさんは、小見寺さんのグループで参加されていた。そして、アナウンサーの女性は、なんと日舞で出演されていた花柳先生のお弟子さんだったので、宮司さんと見に来ていた。
本当に世界は狭いですよね!
 
人生初の禊
夜中の3時に起床。とは言っても、みんなそわそわしていて、2時半くらいからごそごそしていた。上下白い服を着て、わらじを履き、外に出る。男性陣は白いふんどし姿。まず、手のひらを合わせて「振魂」をしながら、「祓戸大神」と唱える。次に、鳥船行事を行う。「イーエッ」「エーイッ」と言いながら、船を漕ぐ動作をする。そのあと、湖へ入る。私はこのときの光景を一生忘れることはないと思う。真夜中に、湖の中にみんなで入り、静寂の中祈る。なんともいえない光景だった。空を見上げると、月と星。そして、UFO! 何基ものUFOが見守っていた。
 

琵琶湖の真ん中でご神事

禊のあと、新たな白い服に着替え、ボートで湖の真ん中を目指す。合計5艘のボートが琵琶湖の真ん中に並び、みんなで般若心経を唱えたり、祝詞を唱えたり、横澤さんが石笛と横笛を吹いたり。そして、お酒と卵とお餅を湖に奉納。
上空を見ると、なんと琵琶湖の上だけがぽっかりと晴れていた。周辺には黒い雨雲。そして、祈りが終わり、竹生島へ帰ろうとしたまさにそのとき、太陽がぱーっと姿を現した。みんな、感激して太陽に拝んだ。
竹生島へ帰るとき、私が乗っていたボートは、メンバーの一人の提案で、島の周りを一周した。これがまた感動だった!ほかのボートの人たちは、私たちのボートがなかなか帰ってこないので、心配していたそう。ちょっとラッキーでした。
 
奉納イベント
午後3時から始まったイベント。その10分前に、スタッフの何人かと、出演者が、ご本殿で参拝させていただいた。時間がないので美内さんが代表で玉串を捧げた。私はこのとき、何故かとても感動して涙が浮かんだ。奉納させてもらえるなんて、このメンバーに入れてもらえるなんて、なんて幸せ者なのだろう、と・・・。
そして、第1部は、世界193カ国の言葉で、それぞれの国の平和と、水への感謝を唱えた。第2部は、神楽舞、古典フラ、バリ舞踊、地唄舞、日舞、石笛と横笛、歌の奉納。第3部は、水カンリンバをお客さんたち全員で鳴らしながら、シンセサイザーなどの演奏。
第1部が終わったあと、キャンドルアートをセッティング。何百個というキャンドルを会場中に並べた。竹生島では、火はタブー。何故なら消防車がないから。このように火を扱ったのは史上初だということ。
みんなそれぞれに素晴らしかった! なかでも、横澤和也さんの横笛はあまりにもすごくて、鳥肌が立ち、涙が浮かんだ。魂をゆさぶる音色だった。本当にすごいので、是非世界中の人に聞いて貰いたい!
 
ひたすら優しい女性陣
今回は、私が最年少だったようで、皆様にはとてもかわいがって頂いた。郁子さんは、前回の旅で知り合い、沖縄の版画家・名嘉睦稔さんを紹介してくれた人。とってもちゃきちゃきで、よく気がつき、よく働く人。
歌手の智恵さんは、癒しのエネルギーの人。一緒にいるだけで癒される。私がイベントの最中、衣装で座っていたら、そっと後ろから布をかけてくれる。
「寒いでしょう? もっと早く気がつかなくてごめんね」って。
キャンドルアートの順子さんは、かわいらしい人。鹿児島に住んでいらっしゃるので、キャンドル何百個分の送料など、膨大な出費だったでしょうに、そんなこと全然言わない。
とにかく、みんな優しくて、その優しさがさりげなくて感激した。押し付けがましくないし、相手に気を使わせない。
 
頼りになる男性人
男性陣がとにかく素晴らしかった。とにかく働く! 荷物運びはもちろんのこと、疲れている人を見つければ、マッサージをしてくれる。とにかくやさしいし、頼りになる! 禊を行ったときのこと。真っ暗闇だし、湖に入るには、岩のところから降りなくてはいけない。湖の下は滑るし、危険なので、バケツに汲んだ水をかぶるだけでもいい、ということになっていた。でも、やっぱりみんな湖に入りたい。そこで、男性陣が先に湖に入り、女性陣が湖に入るときに、みんなで手を差し伸べ、誘導してくれた。湖から上がるときも、先に上に行って手を差し伸べてくれる人、下から支えてくれる人、などみんなが自然に助けてくれる。
ボートに乗って湖の真ん中に行ったときもすごかった。私が乗ったボートには、男性5人、女性5人。ボートは走っている最中、水しぶきが思い切りかかり、冷たいので女性陣はきゃーきゃー言っていた。すると、男性陣が、じゃあ僕たちが防波堤になりましょう、とボートの横や前に立ってくれた。さらに、寒いなんて一言も言っていないのに、「寒いですか?」と声をかけてくれ、「寒いです」と答えると、自分の上着を脱いで貸してくれた。ボートの乗り降りのときは、必ず手を差し伸べてくれるし。このボートでのことを後で美内さんに言うと、「あら、私のボートの男性たちは黙って座っていたわ」だって(笑)。考えてみると、私のボートのメンバーは、平均年齢がとても低かった。美内さんのボートは平均年齢がとても高かった。その違いでしょうか・・・(笑)。
イベントの前に、お客さんたちが使う外のトイレを掃除している男性スタッフもいた。その男性スタッフは、デザイナーさんなんだけど、実はすごい人だったりするらしい。そんな人がトイレ掃除!驚きました。とにかく優しくて力持ち、の男性陣でした。
 
すばらしき仲間たち
今回のスタッフ、出演者たちはとにかく素晴らしかった。みんなそれぞれに自分ができることを精一杯やっている。洗いもの、掃除、片付け、みんなてきぱきとやっていた。お風呂に入れなくて文句を言う人もいない。イベント中、スタッフは何時間も立ちっぱなしなのに、疲れたなんて一言も言わない。笑顔で楽しそうにやっている。お客さんたちへの配慮も素晴らしい。
私は、実は竹生島へ行く前日から頭痛がひどく、あまり眠れなかった。あまりにも頭痛がつらかったので、イベントの前に、ある男性に言うと、マッサージをしてくれて、おかげさまで頭痛が治った。みんなそれぞれにいたわりあって、自分だって疲れているのに、ほかの人をヒーリングしていた。その優しさが本当にさりげない。みんなのこと、大好きになりました。そして、私もそんな素晴らしい人間になりたいと思いました。まだまだお世話になることばっかりの私です。いつか、ちゃんと人の役に立てる人間になれるのでしょうか・・・。


2000年に始まった「浪速の古代史研究会」だが、この会を開く前に、美内さんはこういうメッセージを上から受け取ったという。
「あなたには新しい仲間ができる。それは世界平和を信条とする者である。神縁によって仲間が集まる。それは昔の仲間達なのだ」と。
ご神縁で仲間が集まって助け合い、一つのことを成し遂げていく、こんなに素敵なことはないですね。一人ひとりとのご縁を、神様から頂いたギフトだと思って大切にしていきたい。
 
スーパーウーマン美内さん
今回は、美内グループの参加は約30人ほど。島に泊まる人、当日だけ来る人、などパターンがいろいろだし、部屋割りや、イベントの荷物手配、その他膨大な作業を、美内さんが殆どやっていたことを知り、本当に頭が下がった。みんなが禊のときに履くわらじを、注文して購入してくれたのも美内さん。でも、そんなこと一言も言わない。、みんなのためにペットボトルを200本も買って差し入れてくれたのも美内さん。初日の夕飯のとき、美内グループ、小見寺さんグループ(合わせて50人くらい?)のみんなの前で、「ペットボトルを自由に飲んでください。差し入れがありましたので」と美内さんがアナウンス。「私が買っておいたので」とは言わない。でも私は知ってるよ、美内さんが買ってくれたこと!
ほとんど寝ていなくて、疲れきっているはずなのに、ずっと動き回っている。イベントの最中も、ずっと立ったまま。本当にすごい。
イベントが終わった夜、夜中の1時過ぎまでみんなでしゃべっていた。そんなときの美内さんは本当に面白い。漫才みたい。私たちはお腹を抱えて大笑い!
最終日、誰かにプレゼントするとかで、色紙に漫画とサインを書いていた美内さんに感激。本物の美内すずえだ!と。だってあまりにも絵が上手だったのだもの。(当たり前だけど)
思わず「美内さんって漫画も描けるんですねー!」と言ってしまった。本人も「ええ、そうなのよ」だって。そばにいた男性スタッフが、「彼女、趣味で漫画描いてるんだよ。本業はご神業だけどね」だって。3人で大笑いしました。
そんなわけで、こんなすごいイベントをやってのけて、こんなに素晴らしい仲間たちに囲まれている美内さん、大尊敬です。あなたはすごい!!
そして、本当にありがとう!
 
7月25日早朝、琵琶湖の真ん中に5隻のボートを並べ、水への感謝と世界平和の祈りを行った。みんなで何を見ているのでしょうか?
一通り終わり、竹生島へ帰る途中。みんな、楽しそう!
出演者集合写真。真ん中は竹生島神社の生嶋宮司さん。
宮司さんの右隣は美内さん。真ん中で座っているのは倭姫宮の谷分宮司さん。
ヤハラヅカサ〜神秘の奉納〜(2007年6月30日)
思わぬきっかけで沖縄へ

沖縄、私にとって特別な場所。初めて沖縄に行くことになったときも、かなりすごい展開だったし、2回目も3回目も、なんだか本当にすごかった。行くことになるきっかけもすごかったし、行ってからもすごかったし、いつも一大イベントが待っている。
 4月に、マナ・カードの1dayワークショップをやったときのこと。受講者のお一人が、「沖縄にサロンを持っていて、東京と沖縄を行ったりきたりしているんですよ」と言う。そのとき私は、「そのうち沖縄でワークショップをやりたいんですよ〜」と言ってはみたものの、そのときはその話はそれっきり。何年か前、友人から「沖縄在住の友人がマナ・カードに興味を持っているから紹介するね。いつかワークショップをやれるかもよ」と言ってもらったことがあったのだが、その話もなんだかそのまんまになっていた。

  そして、時が満ちたのだろう。沖縄でのマナ・カード・ワークショップの実現が、かなりとんとん拍子に決まった。主催ISLAND・JAMさん。私が友人のSAKIさんのミクシィの日記に書き込みをしたことがきっかけだった。2007年3月に東京から沖縄に移住し、お店をオープンしたことを報告するSAKIさんの日記に「マナ・カードのワークショップ、いつか沖縄でやりたいと思っているんですよ!」と書き込みをすると、その数日後、SAKIさんから連絡があった。そして、マナ・カードのワークショップがISLAND JAMさんでやるイベントの栄えある第一弾となった。
アイランド・ジャムさんのオーナーのSAKIさんとは、何年か前に知り合った。私があるワークショップのコーディネーターをやっていたときのこと。私はそのワークショップの講師をとても信頼し、魅力を感じていたので、そのワークショップのコーディネーターを自ら買って出ていた。限定20名のワークショップ、そこにSAKIさんがいた。「こういうワークショップに参加するのはかなり珍しい」と言っていたSAKIさんは、中でも目立った存在だった。 だからミクシィで私を見つけてメールをくださったときも、すぐにわかった。他の人だったらわからなかっただろうと思う。
 そのワークショップでは、2人1組になり、お互いのハートチャクラのところに手を当てて、じっ〜っとひたすら目を見つめあう、というワークがあった。SAKIさんと組んだことがあるのだけど、鮮明に覚えている、そのときに見た映像。 なぜなら、私はSAKIさんを最初に見たとき、「げっ、ヤダ、嫌い」と思ってしまって(笑)。しかし、次の瞬間、「でも好き」と思った(笑)。で、見た映像というのが、ネイティブアメリカンみたいな感じで、2人とも男で、族の若者の中でリーダー的存在で。馬に乗っていて勇敢で、同志だけどライバルって感じ。だから、「嫌いだけど好き」だったんですね……。

 そして、SAKIさんのパートナーのひろみさん。彼女が、ある日ミクシィで私を見つけて書き込みをしてくれた。最初は、誰だかわからなかった。だって、ひろみさんはミクシィに顔写真を載せていないし。彼女の日記を見たら、私が観にいくことになっていたある公演に、彼女も観にいくと書いてあった。すごいシンクロ! 会場でお会いすることを約束。果たして、彼女は会場で私を見つけてくれた。 「あ、知ってる!」私は彼女を覚えていた。あるワークショップで、お互いにスタッフとして同じ会場にいたことがあった。直接お話するようなことはなかったけれど、彼女も目立つ存在だったし、お互いに覚えていた。何年ぶりっていう感じの再会だったけど、共通の知人もたくさんいることがわかって、びっくりだった。
SAKIさんとはワークショップ以来何年も会っていなかったし、ひろみさんとも公演で会っただけ。それよりなにより、2人とは友人として付き合ったり連絡を取り合っていたわけでもないのに、ワークショップを企画してくれて、そんなふうに信頼してもらったことには驚きと感謝の気持ちでいっぱいです。

 SAKIさん(左)
 ひろみさん(右
 
導かれる奉納場所

そんなふうに、マナ・カードのワークショップが決まったとき、私の中に沸きあがった思い。「沖縄で奉納をさせていただきたい!」。それを2人に伝える。手帳を見ると、ワークショップの前日6月30日が満月になっていた。すると、ひろみさんのほうからも、「30日が満月だから、その日がいいんじゃない?」との言葉。後の問題は場所だった。私は沖縄のことは詳しくないから、2人にお任せすることにした。そして、いつもは一人で奉納に参加する私だが、今回は私が言いだしっぺだし、生徒で希望者がいたら連れて行けたら、とふと思った。そして、声をかけると、4名の生徒が参加を志願してくれた。その後、一人、また一人と減り、最終的には2名の生徒が私に同行することとなった。
 そして、マナ・カードに何度か聞いてみた。「奉納について」「沖縄行きについて」。沖縄に関して引くと、カネ(ハワイ4大神の一人)のカードばかりが出る。そして、ヒナ(月の女神)も出た。このカードの意味が、後々わかることになる。

 肝心の奉納の場所と時間だが、これがなかなか決まらなかった。場所は、百名海岸のヤハラヅカサがいいのでは、ということで大体決まっていた。ヤハラヅカサとは、琉球人の祖先神アマミキヨが上陸の第一歩を印した海岸と伝えられている。ところが、時間がなかなか決まらない。結局、決まらないまま沖縄へ。6月28日、沖縄に到着すると、ひろみさんと合流して、ヤハラヅカサへと向った。そこでは、琉球学者の名護先生が待っていてくれた。ひろみさんは、今回の奉納に関して、名護先生に声をかけてくれていた。名護先生は、私の奉納チームのリーダーMさんとも知り合いだということで、今回も準備されていた出会いだと感じる。
 
名護先生の案内で、まずはアマノイワフネへ。ここでの奉納も良いのでは、という話ではあったけれど、あまりぴんと来ない。そして、ヤハラヅカサへと向う。そこで私が見たものは、カネのカードに描かれた絵と同じ景色であった。カネには、男性器の形をした石が海から突き出ている様子が描かれている。ヤハラヅカサには、カネの石にそっくりな形の石碑があり、海から突き出ている。

 ここだ! 奉納場所はここだ! 私は確信した。そして、石碑の上には丸い幻想的な月。ヒナのカードが現していたのは、これだった。あとは時間だ。6月30日は、夏至の後の満月、そしてブルームーン。 ブルームーンとは一月に2回、満月がある場合、2回目の満月のこと言う。 (とても珍しい現象で、次回のブルームーンは2010年の1月と3月) 名護先生によると、この日ヤハラヅカサにおいては、月の出と日の入りが 19時27分であるということ。つまり、同刻に、日が沈み、月が上がる。この時間に奉納が良いのでは、ということになった。

奉納、幻想的な夜

6月30日、午後7時過ぎ。私たちは百名海岸にいた。名護先生や、名護先生のご友人たち、SAKIさんやひろみさんの声かけで集まってくれた人たちもいた。そして私は、沖縄・久高島の神人、糸数なびぃさんを待っていた。今回、沖縄で奉納させてもらうにあたって、やはり沖縄式でやったほうがいいだろう、とひろみさんが声をかけてくれていた。7時が過ぎてもなびぃさんが来ないし、ひろみさんも来ないし、私は焦っていた。「大丈夫だって、みんな時間になったらちゃんと来るから」。何度も時計を見ながら不安な顔の私に、SAKIさんがこう言う。はたして、7時20分頃、ひろみさんの姿が見え、次に、着物を着て、髪をアップにした小柄でかわいい女性が歩いてきた。それがなびぃさんであることは、誰に教えられなくてもわかった。

 「わざわざお越しいただき、本当にありがとうございます」そう声をかけた私に、「それはこちらのせりふです。本当はわたしたち地元の人間がやらなくてはいけないようなことを、遠い東京から来てくださってやってくださるなんて、ありがとう」。なびぃさんの言葉に、思わず涙が出そうになった。奉納したいというのは、私の勝手な希望だった。それなのに、みんなが力を貸してくれる、こうやって集まってくれる。こんなにありがたいことがあるだろうか?

 「わぁぁ」。歓声が聞こえてふと海のほうを見ると、水平線から月が上がってきていた。水平線から上がる太陽は見たことがあったけれど、月ははじめて。なびぃさんがご神事の支度を始める。みんな、月を眺めながら砂浜に座る。すると、なびぃさんの美しい歌声。海と月と、神々に捧げる不思議な音色。泣きながら歌うなびぃさんの歌声に、私の目からも思わず涙がこぼれる。なびぃさんが歌い終えると、なびぃさんとそのご友人が、こちらへ来なさい、と目で合図をする。私は2人のところに行き、3つあった杯の一つを手渡された。3人で海へと進み、その杯の中の液体を海へと注ぐ。「この海は、世界へと繋がっています。この祝福の水は、世界中へと流れていきます」。なびぃさんの言葉に魂が感動。

 そして、今度は私たちの番。生徒2人と手を繋ぎ、海と月に向ってフラを踊る前のチャントを唱える。そして、女神ペレの歌。私の前で踊る2人と、後ろでイプヘケ(ひょうたん)を叩きながら踊る私。そしてそれを見守ってくれるひとたち。海、月、神様。上から何かが降りてきて、ものすごいエネルギーが注ぎ込まれる。内側からパワーがみなぎってきて、自分では止められないほどの力でイプヘケを叩く。自分の声だという自覚がないほど、次から次へと声が出てくる。

 そして、奉納は終わった。

ヤハラヅカサ、水平線から上る月 糸数なびぃさんによる儀式が始まる
なびぃさんの歌には不思議な魅力がある お神酒を海へと注ぐ
フラを踊る前のチャント 幻想的な景色
不思議な導き

名護先生がみんなの前で不思議な話を始めた。

「昨日の朝、夢を見たんです」。名護先生の夢の中に、ひろみさんが出てきて、「私はオオシロサダコさんの使いで来ました」と言って、名護先生に写真を2枚見せた。その写真のオオシロサダコさんは、とてもきれいな女性だったそうだ。そして名護先生は、このヤハラヅカサは個人所有で、その所有者の名前がオオシロさんであることを突き止めた。
「きっと、何百年か前までは、満月のときにはこうやってここで神祭りをやっていたのでしょう。オオシロサダコさんは、これを復活させたかったのかもしれません。今後、夏至の後の満月には、毎年ここでこの祭りをやっていくことになりそうです」と名護先生。私が奉納をさせていただきたい、と言ったことが、こんな流れの中に組み込まれていたとは! 天ではすべてのことが組み込まれていて、私達は動かされているだけなのだ、そう実感する。
どんどん辺りは暗くなり、この上なく幻想的な満月。私も古代には、こうやって神祭りに参加していたのだろうか? ここに集まっているみんなとも、そのときの仲間なのだろうか

 この日、なびぃさんが歌ったのは、満月を歌った沖縄のオモロ(オモロとは、琉球の古代歌謡)。名護先生が、今回のためにいろいろと調べていたところ、偶然にも満月のオモロがあることを発見したそうだ。

この世のものとは思えないほどの美しい夜
心からの感謝

なびぃさんは、少女のような可憐なルックスをされているのだけれど、でもなんだか母性も感じさせる。思わず、「抱きしめてもらってもいいですか?」とお願いしてしまった。そして、ぎゅーっと抱きしめてもらったときに感じたのは、「人類の母」。それを伝えると、「私は母親になって8日目なの」となびぃさん。実は、6月22日の夏至の日、玉城にて夏至祭があったときに、母親として生まれ変わったのだそう。そして今日、月のエネルギーを受けたなびぃさんは、夏至の太陽で母となり、ブルームーンの日に母として完全となったそうなのだ。

「ありがとう。今日ここに呼んでくれて。あなたが呼んでくれなかったら、家で横になってただけなのよ」なびぃさんのその言葉に、こちらこそありがとう、と心の底から思った。奉納のたびに感じることは、感謝の気持ち。奉納することが大事なのではなくて、奉納するまでの過程のほうが大事。奉納のために練習する、そのために準備する。多くの人に協力してもらって、みんなとひとつになる。
 そして、感謝と同じくらい大切なのは、謙虚な気持ち。「奉納させていただける」ことへの誠意。奉納とは、「する」のではなく、「させていただく」ものなのです。私は今回、生徒たちに言いました。「技術的なことはそれほど重要じゃない。間違えたからって神様は怒らない。だけど、どれだけ努力したか、神様に失礼がないように準備できるか、それは神様にはわかるし、なによりも自分が一番知っている。見ている人のことはごまかせても、自分自身はごまかせない。だから、奉納まで自分のできる精一杯のことをしてください」と。
 「形」にこだわるのではなく、「心」を大切にしてほしい。私がやっていることだって、もしかしたら技術的に間違っていることだってあるかもしれない。でも心だけは、誠意だけは、そして感謝だけは絶対に自信がある。だから神様も、奉納することをゆるしてくださっているのだと思う。そうでなければ、奉納の場所も時間も機会も、与えてもらえないはず……。

 奉納を通して学ぶことはたくさんある。今まで私は、奉納させていただくことだけで満足していた。いつも、段取りをしてくれる奉納チームのリーダーや仲間たちがいた。でも今回、自分ひとりの意志で奉納を決め、自分の責任で生徒を同行して、感じたことがある。それは、少しでも多くの人に、奉納を通して、自然のエネルギーを感じ、神様の存在を感じてもらいたい、ということ。そして、奉納を通して学ぶこと、感じることを、もっともっと伝えていけたら、ということ。もしかしたら、それが私のライフワークになっていくのかもしれない。

私がなにげなく書いたひとことが、やがて大きな流れとなっていった。
たくさんのひとたちが集まってくれた。
みんなが、惜しみなく捧げてくれた
みんなが、心から協力してくれた。
みんなが、精一杯繋げてくれた。
ほんとうにありがたくて、感謝の言葉しか浮かばない。

私の勝手な一言のために奔走してくれたひろみさん、SAKIさん、多くの人たちへ、愛と感謝。同行してくれた2人の生徒にも感謝。ありがとう。そして、かみさま、ありがとう。

追記:みんなで幻想的な月を楽しんでいたとき、1匹のカニが歩いてきた。私たちの荷物のところをうろうろしている。すると、「西で踊れってカニさんが言ってるわ」となびぃさん。今度は西と結ぶ必要があるらしい。実は、この奉納の次の日、西の宜野湾でマナカードのワークショップをやることになっていて、ワークショップのあとに、ビーチで踊る予定になっていたのだ。完璧!
糸数なびぃさんと
 

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