『ALOHA PIKO』は、アロハの素を皆さんにお届けします。
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「POMAIKA'I」
新井朋子&アロヒナニ著


「聖なる光 第1弾 光臨」
美内すずえ監修
写真家 奥聖 

アロヒナニ 文章担当

Essay vol.2
私が日々感じたことを、気楽な感じで書きつづっています。

旅エッセイ・海外編はこちら
旅エッセイ・日本編はこちら
67. 謙虚さ 68. 常にセンタリング
69. 言葉の難しさ 70. 自然体
71.正負の法則 72.自己信頼
73.有名になりたい? 74.縁の不思議
75.もしも・・・ 76.責任
77.罪と罰 78.教えること伝えること
79.自分のタイミング 80.勢いがあるよりも…
81.楽に生きなよ 82.見た目は大事
83.理解されたい欲 84.あなたの恥は私の恥
85.誰だって甘えたい 86.許す
87.プロの定義 88. お金というエネルギーの循環
89. 中道を行く 90. 3度目のイニシエーション
91. 当然そうなる 92. 成長するために
93. ありがとうあいしてるだいじょうぶ 94. スキとわかりやすさ
95. 男は女の上に立ちたい 96. いろんな愛のカタチ
 
51.夏至・夜中のご神事
夏至の日は、奈良のN神社で、御神事をした。
本殿や、その周辺一体に、キャンドルを約600本並べ、 夜中の2時半に、宮司さんに祝詞をあげてもらってから、 みんなでそれぞれ奉納。
もちろん私は踊り。音楽は、みんなが奏でる笛やお鈴などなど。今回は、ハワイの歌でフラを踊るのではなく、即興ダンス。
夜が明けてきて、夏至の太陽が上がったときには、 朝日に向けてハワイ語のチャントをやらせていただいた。

その後には、みんなである場所に植樹を行った。
寝ずに働いたから、くったくた!
この仲間たちとは、今までにも御神事で何度かご一緒しているけれど、ご一緒するたびに、みんなのことがますます大好きになるし、尊敬の念も増えていく。
だって、本当にすごい。惜しみなく与える人ばっかり!
御神事をやらせて頂いたあとも、ちゃんと社務所とか、お借りした場所は、来たときよりもきれいにして帰る。 キャンドルから垂れたロウも、道具を使って、這いつくばって剥がす。
誰も指示していないのに、自分で雑巾を持参していたり、料理を作って差し入れしてくれたり、荷物運びも率先してやるし、運転できる人は車を出してくれる。
それに、だーれもサボってない。 何十人もいると、普通、誰かしらがどこかでサボっていたりするでしょ? でも、そんな人ひとりもいない!
みんな、自分ができることを精一杯やっている。
みんなとっても優しいし、その姿勢には、本当に感動!
ただ、スピリチュル好きで、不思議好きで、奉納したくて、っていうのとは全然違う。
だってね、奉納、御神事のたびに、交通費だって、玉串料だって自腹なわけです。
それでも、みんな進んで集合しちゃう。
「何が見えた」とか「何を感じた」なんて自慢げに言う人は1人もいない。
真摯に、ただひたすら世界平和を願い、祈る。
こんなすごい人たちの中にいれてもらえて、私もああいうふうにならなくちゃなーっていつも思う。
私も、ご縁あってこのグループに仲間入りさせてもらっていて、必要あって経験しているのでしょう。
自分には果たして何ができるのか?
そして自分はここから何を感じ取り、なにを勉強していくのだろう?



(2006年6月19日)
 
ワタミ(和民)の創業者の渡辺氏がテレビのトーク番組に出ていた。
自分の身一つで、全国にチェーン展開できるほどまでの会社にを作り上げた渡辺氏の話は、とても明快でなるほどと思わせるものだった。

会場に来ていた学生の1人が、こんな質問をしました。
「自分は音楽の世界でやっていこうと思っているが、食っていけるか不安だし、周りの友人達が就職活動をしていると、とても焦りを感じます。渡辺さんは不安に感じたことはなかったんですか?」
渡辺氏はこう答えました。
「自分は会社を興すって決めていたから、みんなが就職活動をしているときも、何の不安もなかった。逆に、自分は周りとは違うんだ、と再認識できた」
周りが当然のように就職活動をしている中、自分は皆と違う道を進む、という思いを確認していた渡辺氏は、「悩む」ということは全くしないんだそうです。
「悩んでいる時間がもったいない。もし難しいなと思う事態があっても、どうやったら解決できるかを考えることに時間を使います」
いろいろな話を聞いていて、本当にとても面白かったし、さすが、大きなことをする人は違うな、と感じました。

「みんなと同じ」であることが、常識人であったり、良いこととされる日本。
でもそれって、個性を殺しているのと同じ。
それぞれ、自分しか持っていない才能や個性があるのだから、それを発揮しないと、人生を謳歌できないんじゃないかなぁ。

去年の12月、フラの衣装で写真を撮る時に、ヘアメイクを担当してくださった人から、たくさんアドヴァイスを貰った。そのときに、自分がいかに自分自身の個性を殺していたかを知った。
おでこが広いのがイヤで、前髪で隠していたけど、それでは逆効果であること。エキゾチックに見られがちな顔立ちがイヤで、薄化粧していたけど、それがまた自分の魅力を半減していたこと。
「それはあなたにしかない個性じゃない!」と言われ、今までの自分を反省。

自分でイヤだな、と思っている部分が、案外、人からは魅力的に見えていることもある。みなさんも、自分の思い込みを捨て、殻を脱ぎ捨て、個性を発揮してくださいね!

(2006年7月7日)
 
萩本欽一さんが、タレントの山本圭一さんが起こした事件の責任をとって、球団を解散すると宣言した騒動がありました。結局、存続することになりましたが・・・。

実は、山本圭一さんについては、以前より、危険視していた私。欽ちゃんが球団に彼を入れたときも、野球は上手いかもしれないけど、もっと人格とか品格とか、ちゃんと見てからにしてくれ、欽ちゃん!と思った私だった。 果たして、事件を起こした山本さん。
ホテルまでついていった女の子のほうにも原因があったかもしれないけれど、以前より彼の人格にいや〜なものを感じていた私は、ほら!と思ったのでした。
きっと球団は存続という形になるであろう、と予想していたのは私だけではないはず。
欽ちゃん、解散宣言が、早すぎたよ〜。
もっといろいろ考えてからにしなくちゃ〜、と部外者だから言えることなんですが。

今日、昼の番組に、ある文化人がコメンテーターで出ていて、非常に良いことを言っていた。
責任っていうのは辞めることじゃない、辞めることは逆に無責任なんだって。ずっと関わっていって、抱えることが責任をとることだって。
もしも自分の関係者にそんなことが起こったら、自分は本人と徹底的に話し合って、それで結論を出しますって。
欽ちゃんは、山本さんから電話があったとき、「話したくないから切ってくれ」って言ったそう。それで、自分ひとりで決断しちゃった。
困ったのは、他の選手たちですよね。不安でいっぱいになったと思う。

批判するつもりはないけれど、なんだかいろんなことを考えさせられる事件だった。
私も、生徒を抱える身だから、同じ状況にならないとは限らない。
組織を経営している以上、いつだって、なにかあったら責任とらなくちゃいけないって、覚悟している。
なにを言われても、文句言われても陰口たたかれても、平然としていなくちゃいけない、そして、何かが起こったときには責任を取らなくちゃいけない、そういう立場だから、欽ちゃんの一連の騒動は、他人事じゃなかった。

会社なんかでも、社員が問題を起こすと、社長が頭を下げる。
自分がやったことじゃなくても、問題を起こした人を雇っていたという責任があるから。
アカデミーだって、もしマナカードを使って生徒の誰かが問題を起こしたら(もちろん、そんなことはないと思っているけれど)、私や相棒に、矛先が向かってくる。
そんなとき、正しく責任をとるためには、どういうことをすればいいのか?
難しいですよね。
企業のトップって、たくさんお給料をもらっていても、当然だと思う。
だって、それだけの精神的重荷を背負っているのだもの。

私は、たびたび奉納などのご神事をやらせていただいてるけど、そのチームのリーダMさんが以前、言っていた。
「ご神事でみんなを集めるとき、私にはみんなを巻き込むという責任がある」と。
そんなふうに腹をくくって召集していたとは知らなかった私は驚いたものだった。
さらに、カウンセリングをやっている友人がこんなことを言っていた。
「自分のカウンセリングを受けたクライアントさんが、あっちこっちでひんしゅくを浴びているようなので、思い切って、そのひんしゅくを浴びている点について注意をした。自分のカウンセリングを受けた以上、自分には責任がある」
カウンセリングが続いているわけではないけれど、きちんとクライアントさんに注意をしたなんて、偉いですよね。
人には、それぞれに責任のとりかたというものがあると思う。
普段はへらへらしていても、責任をとるべきときはとる、そんな格好いい人間になれるように精進したいと思う。

(2006年7月24日)
 
自分が何をするために生まれてきたのか?って知りたいと思いますか?
私は、昔からずっと考えていました。
なにをやっても長続きしなくて、中途半端な人間だ、飽きっぽい性格だ、なにも取り立てて才能がない、そう思って生きていた私。

数年前、ライターの仕事で、占星術師の方にお会いしたとき、「あなたは将来自分の会社を持つ」と言われ、あるサイキックなアメリカ人にも同じことを言われた。でも、自分ではまさか!と思っていた。だって、自分の会社を持ちたいだなんて、一度も思ったことなかったんですもの!

果たして、その予言は現実となった。私1人ではないけれど、相棒と一から会社を起ちあげたのだから。それも、会社を創ろう!と思ったわけではなく、マナカードをやっていく上で、どうしてもそうしなければいけない事態になってしまった。
私はこのままでいいの? なんどもそう思った。
ここ数ヶ月、あることで非常に悩んでいた私は、どうしても自分の中に答えを見出すことができず、とうとう人の手を借りることにした。
友人で、オーラリーディングをする戸張さん。私はとても彼女を信頼しているから、彼女にみてもらうことにした。
最初は、見てもらうことをとても迷っていたけれど、共通の友人と一緒にいるときに、その友人のところに、戸張さんから電話がかかってきたものだから、これはもう受けろ、というメッセージだな!と思ったのです。
いつも予約がいっぱいの彼女だけど、非常にタイミングよく時間をとってもらうことができた。

そこで確認した私の使命、それはやはり、ハワイの英知を日本に広めることだった。そして、マナカードの使命までわかったのです!
戸張さんによると、
「マナカードというのは、日本で何かをしたかったわけではなく、縁のある人をハワイに返したかった。アロヒちゃん自体がそういう形で呼ばれているし、手にしているから。ハワイに元々いた故郷の人たちが帰って来る、その虹をかけるようなお仕事の仕方が、アロヒちゃんたちの会社やマナカードの役目。
だから、マナカードを手にした人は、ポリネシアとかハワイのエネルギーを持っていて、自分の細胞に入っている記憶を呼び返す。そして現世でのお仕事とかお勤めは日本で一生懸命頑張るけれども、その源はハワイで、あなたはそこに帰るんですよっていうメッセージを呼び起こすためのマナカードだし、この会社があるの。
マナカードは、自然界からのメッセージを取り入れるための入口としてのカード。神界に入るための入口」


では、私の今生での役目は、ハワイのことをやるため? 
そのために私は生まれてきたっていうこと?

戸張さんは力強く言った。
「はい」

私 自分では会社を自分でやるなんて、計画に入ってなかったし、意外なんです。経理とか細かいことが大変で、なんでやってるんだろう?って思ったり・・・。

戸張さんはこう続けた。
「経理をやるためなんかじゃなくて、これを成り立たせるためっていうのでもなくて、ハワイ文化の大使の役目があるの。虹の役目。マナカードだけっていうのも違うし、ライターだっていうのも違うし、ダンサーだっていうのも違うし、全部含めて、王妃の役目というか。
アロヒちゃんは、過去生でハワイの王族だと思うのよ。どこの誰かわからないけど。ハワイ人たちが、もうその森には入っていけないとか、統制されてしまったり、殺されてしまったりして、もう自分たちの場所に戻れなくなってしまったときの、若い女の人で、とても若いうちに亡くなっています。結婚もしていませんでした。ハワイの神秘、隠されたもの、文化の架け橋とか、人の再生とか、エネルギーの循環とか、そういうことをやり続けていったほうがいいです」


戸張さんから、「ハワイの前世で若いうちに亡くなっているから、今でもハワイのことをやるときは少女のような気持ちになるでしょう?」と言われて、納得。確かにそう。
それに、私は自分で思い出した前世のうちの1つがハワイアンだったし、ハワイ人たちが土地や文化を奪われ、アメリカの一部とされてしまったときの話などは、とっても熱くなっちゃう。非常にムキになって、熱く語っちゃう。

私は、人に見てもらうことはほとんどないんだけど、今回は、どうしても誰かに何かを言ってもらいたかった。ベストなタイミングで、私に必要な情報が入ったのだと思う。
これからも、ハワイ文化を通して、みんなの魂をハワイに里帰りさせられるように、大使の仕事を続けていきます!

(2006年9月1日)
 
55.戦争そして原爆
ハワイアンヒーラーのキモ・ケカフナさんが今、来日中で、彼が先週、広島に行って、衝撃を受けて帰ってきた。
(キモさんのプロフィールは、こちらのページの下方をご覧下さい)

キモさんがもう1ヶ所訪ねたいと思っている場所は沖縄。
てっきり、戦争関係のことも知っていると思っていたのだけど、一応、私が、沖縄の悲劇について語ると、びっくりしていたキモさん。
唯一地上戦が行われ、多く人が自決した土地。
彼はまったくそのことを知らなかった。
「アメリカの教科書には書いてない」って。
広島や長崎のことも、原爆を落としたことは書いてあっても、「それによって平和になった」という記述なのだそうだ。

いつだったか、「原爆を1度だけじゃなく、2度も落とされて、日本人はどうして穏便でいられるんだ!?」と不思議がるキモさんに、あるお話をしたことがあった。
日本のテレビ番組(特番)で、原爆の発明者を日本に招いたことがありました。そのとき、私の親友が通訳をしました。
「あまりにもひどい!」という親友からの報告を受け、覚悟をしていたものの、番組を見て唖然とした。
発明者が生存者に向かってかけた言葉の数々・・・。
「あなたたちは命が助かったんだからラッキーだったじゃないか」
「私は絶対に謝らない」
そして、一番ひどかったのは、「私にとっては、リメンバー・パール・ハーバーだ」。生存者たちは青ざめ、通訳の友人も、訳していいものかどうか迷ったそう。
ただ、通訳の友人が言っていたのは、「どこか、一生懸命自分をガードしている感じだった」と。
私は、画面を通じて感じたのは、この発明者は、自分の犯したことを過ちだと認めてしまったら、生きていけないのだろう、ということ。それを過ちだと認めたら、ガラガラと崩れていってしまう。どうにか正当化することで立ち続けていられるのだろう、と。
この話を聞いて、キモさんは、ちょっと日本語には訳せないような下品な(笑)英語を吐いて怒っていた。

キモさんは、広島に行き、広島大学の教授とも会ってきて、原爆の事実を目の当たりにした。
決してアメリカでは公表されない写真を見て、涙が止まらず、声にならないくらいショックを受けていたそう。
そのアメリカの国籍を持った自分。
ハワイ人であるのに、土地や文化を奪われ、アメリカ国籍を持たなければならなかった自分。
いろいろな想いが去来したよう。

もちろん、日本も、アジア各国にひどいことをしていた。
その時代は、どこも戦争、戦争で、お互いに狂っていたのだと思う。
そして、今も中東では戦争が絶えない。
核開発を止めない国もある。
世界中の人に知ってもらいたい。核が与える影響を。
隠さないで、広島の写真をすべて公開してほしい。
アメリカは、9.11のことで大騒ぎしているけれど、それと同じくらいのこと、いえ、それ以上のことを広島や長崎にしていたわけだから。
そのことを、包み隠さずに公表してほしい。
ブッシュさん、一度広島と長崎を訪れて欲しい。

何年か前、ジェームス・トワイマンさんという平和の吟遊詩人(世界中の紛争地帯で平和の歌を歌っている)の人の来日をコーディネートしたことがあった。
広島、長崎、沖縄で平和のコンサートを開催した。
平和祈念公園で悲惨な写真などを目にしたとき、アメリカ人であるジェームスはとても冷静に受け止めていて、「我々は過ちから学ぶ」と言っていた。
この事実を知ったからには、より多くの人に、平和の大切さを語っていって欲しいと思う。
私自身も、この悲劇を忘れそうになることがある。
でも、この悲劇と激動の時代を乗り越えてくださった人たちのおかげで、今の自分がある。それを肝に銘じておきたいと思う。
そして、できる限り、語り続けていきたいと思う。

(2006年9月13日)
 
マナ・カードに、虹のカードがある。ハワイ語で虹はAnuenue、カードの意味は”変容”。
あなたの中の影の部分、陽の部分、人生の中の良いこと悪いこと、すべてに光を当ててあげることで虹がかかる、という意味のカード。

ときどき、「あそこに行けば自分が変わる、何かが変わる」という言葉を聞くことがある。
たとえば、「伊勢神宮に行けばなにかがわかる」「ハワイに行けば自分の何かが変わる」。
でもね、「そこに行けば何かが変わる」わけではないと思う。
もちろん、その土地のエネルギーに触れて、何か気づきを得ることもあると思うし、パワーアップすることもあると思う。
でも、そこに行きさえすれば、何にも努力しなくても自分の人生が良くなるわけでも、変わるわけでもないと思う。

光を当てるのは、自分自身なのです。誰かが当ててくれるわけではない。
自分の力で当てることができないと、たとえ一時的に誰かが光を当ててくれたとしても、一生当ててくれるわけではない。
「あそこに行けば何かが変わる」と思い続けている限り、じゃあ、そこに行けないときはどうするの?って思う。
「あの人は私に気づきを与えてくれる」では、その人がいなくなったらどうするの?

肝心なのは場所ではないし、他のなにかじゃない。いつでも光を当てられる自分でいること。
そして、なにか物事が起こったとき、プラスの面を見られる自分でいられること。
マイナスのことが起こったとき、どうしてそれをマイナスと思うのか考えてみる。
そして、その物事から、プラスの面を探してみる、そして光を当ててあげる。
虹を作るのは自分自身。
どこにいても、誰といても、虹をかけられる自分でいたいですね。

(2006年10月1日)
 
ハワイのマスターコースより帰国して、やっと落ち着いた気がする。
参加者の皆さんからもメールを頂き、「大いに学びを得て、満足感でいっぱい」「もう一度参加したい」なんて嬉しいことを言ってくださる方々もいて、ありがたく思っている。
ありがとうございます!

マスターコース中は、みんなの顔を1人1人毎日チェックしながら、いろんなことを思っていた。
「あー、なんか体調悪そうだなー」とか、「退屈気味かな?」とか、「楽しそうだな」とか。
でも、これはまずい!と思わない限り、声をかけない。それが、相手を尊重する、ということだと思うから。(これってアメリカ流!?)

講座などをやっていると、いつも思うけれど、、参加者全員が満足する、ということはかなり難しい。人が求めているものは、それぞれ違うから。
マナカードの著者キャサリンベッカーが以前言っていた。
「大学で一番人気のある先生の授業でさえ、生徒は文句を言う」(キャサリンはハワイ大学の教授)

主催者というのは、感謝をされることもあれば、文句を言われることもある、それがサガだから、何を言われてもしょうがない、という覚悟がなければできない。
それは、自分で何かをやっている人はみんなそうだと思う。
たとえば、ロミロミのサロンをやっていたとして、精一杯施術しても、もっと力いっぱいごしごしやってもらうほうがいい、というタイプと、優しくやってもらいたい、と思っているタイプの人がいたら、満足度が違うでしょう。

山がいい、という人もいれば、海がいい、という人もいる。肉が食べたい、という人もいれば魚がいい、という人もいるでしょう。 十人十色とは、よく言ったもの。個性もそれぞれ、だからこそ、地球は豊かなんですよね。 地球上に、同じ人ばっかり何十億人もいたらイヤですもんね(笑)。

だから、主催者は、参加者の好みで決めるのではなく、自分達が信じることを精一杯やるしかない。
相手ありきではなく、自分が満足できるように行動していけば、それがひいては周りの幸せに繋がる。
自分が不幸せで、いつも何か足りなくて、なんて状態じゃ、誰かの幸せも願えないものね。
だから、講座では、マズ自分が一番楽しむようにしている。
そして、その波長と合う人、好みが合う人、それを受け取ってくださる人たちだけが、自分たちの元に残ってくれるのだと思う。

私は、団体旅行なんかでも、ほとんど不満に思ったことがない。
まあ、劣悪なツアーに当たったことがないせいもあるかもしれないけど。
なにか不便があっても、ま、いいか、これも楽しいでしょう、っていう感じ。
あるとき、ちょっとねー、っていうホテルに当たったことがあったけど、まあ、これも経験って思ったし。

特に、スピリチュアル系のワークショップなんて、普通のツアーと違うのは、エネルギーが集まるから、いろんなことが起こりやすい。予定通りに行かないことのほうが多かったするし。だから、その場その場で考えを切り替えて、そのときの流れに合ったスケジュールでやらなくちゃいけない。

私は、以前、いろいろな外国人のスピリチュアルなワークショップの担当をしていたことがあったけれど、外国人が講師だと、絶対に時間通りにいかない。日本人みたいに几帳面でも正確でもないから。
でも、時間がないから、と途中で流れを私が中断するわけにはいかない。だから大変だった。
だって、講師は、そのときそのときの流れ、エネルギーでワークショップを進めているから。
だから、もし予定のものが時間内に納まらなくても、それはそれで必然、ってことになる。
むしろ、予定通りにやるよりも、その場に一番合ったことをしたってことになったりする。
でも、予定通りじゃないことに腹を立てる人もいるし、だから、難しい。
でも、いつも思うのは、どんな状況にいても、最大限に受け取れる人っていうのは得だし、得るものが大きい。

人との関わりには、常に祝福がある、って私の大好きなアラン・コーエン様が言っていた。
やはり、人を相手にする仕事っていうのは、一番喜びも大きいし、一番大変だとも思う。
接客業をやっている友人たちもみんなそう言っている。(私は昔からずっと接客業をやっていたのだけど、 考えられないようなお客さんがほんとにいる!)

今は自分が主催者になって、なんでこんな大変なことしてるんだろう??って思う日もある。もうこれ以上やれない、と思ったことも何度もある。だけど、ありがたいことに、そんな私でもついてきてくれる人たちがいて、本当にありがたいと思っている。アロハ&マハロ!

(2006年10月6日)
 
「人に何かをしてあげる」というのは、自分が主体になった考え方だけど、実は「させていただいている」のですよね。相手がいるから初めて成り立つのだから。
たとえば、誰かに食事を奢るとする。でもそれは、その人が自分と食事をしてくれるからできるのであり、その人がこちらの奢るという行為を受け取ってくれるから初めて成り立つ。
だから、受け取ってくれる相手がいるって、とてもありがたいことですよね。
フラのレッスンやマナカードの講座、個人セッションもそう。お金を払って受けて下さる生徒さんたちがいるから、私の講師としての仕事もやらせていただける。
ライター業だって、読んでくれる人がいるからできること。

以前、ある番組で、スマップの中居さんが言っていたことがとても納得だった。
女医さんが数名いて、その女医さんたちに「デキる女とは?」というお題が出ていた。
女医さんの1人が「食事はワリカン」と答えた。男性と食事をするときも、私はお金を出します、と誇り高く答えていた。
その後に、中居君は言った。「男は食事を奢ることで満足したいんだよ」
うんうん、ほんとうにそう思う!
私は男じゃないけど、お世話になった人や、かわいい後輩や生徒などに奢らせてもらうとき、とても満足感がある。それははっきり言って自己満足なのだけど(笑)。
以前、ある人に奢らせてもらったとき、「いいです、いいです」と何度もお金を私に払おうとして、中々引き下がってくれなくて、途中からとっても困ってしまった。
それから私は、人が奢ってくださるというときは、素直に受け取るようにしている(笑)。
だって、受け取ることも、相手への恩返しだから。
そして、与えるほうも受け取ってもらえることで満足する。
だから、私たちは一方的に与え、一方的に受け取るのではなく、本当にお互い様なのですよね。
受け取ることで与え、与えることで受け取っているのだから。

何かをさせていただける、って本当にありがたいことです。

(2006年11月1日)
 
59.人生はふしぎ
自分の人生を振り返ったとき、そして現状を思うとき、なんでこうなったんだろう?って不思議に思うことが多々ある。

先日、作詞家であり、各分野で活躍している阿木曜子さんのインタビューをテレビで見た。
旦那様はロック歌手の宇崎竜動さん。学生時代より付き合っていた2人が結婚してからも、宇崎さんは売れない歌手。そんなる日、宇崎さんがバンドを組んで、作詞を阿木さんに頼んだ。
それまで作詞なんてしたこともなかった阿木さんは、ベッドに横になりながら、適当に10分くらいで書いた詩、それがあの大ヒットとなった「港のヨーコヨコハマヨコスガ〜♪」。
それからというもの、次から次へと作詞の仕事が舞い込み、売れっ子作詞家となった阿木さん。
書いた詩がボツになり、あと30分で詩を書き上げないとレコード発売に間に合わない、というピンチのときに、半分ヤケになって書いた詩が、山口百恵さんの「プレイバックPart2」だったそう。
阿木さんは、「作詞家になるなんて夢にも思ってなかった」と言う。あんなに作詞で有名な人なのに、と意外に思った。

人にはいろんなパターンがあると思う。
「絶対にこうなる!」と思って成し遂げる人と、「気がついたらこうなってた」という人。
私はというと、後者です。
20代の頃は、「28歳くらいで結婚して、30歳で1人子供を産む。その後にもう1人くらい産んで、子供の手が離れたらパートでもする。旦那を支え、幸せな家庭を作る」と思っていた。
それ以外には考えもしなかった。
留学も、憧れはあったけれど、絶対にしたいと思ったわけではなく、人の縁で、たまたまハワイに留学することになったし。
踊りも、好きだったし習いたかったわけだけれど、たまたま弟子入りした先生がショーダンサーだったため、私もいろんなショーに出演することになったわけで。。。
ライターの仕事も、たまたま出版社の人と知り合いになり、やることになったので、文章の勉強をしたこともなかった。
そして、今はなぜかマナカードやフラ、ハワイ文化を教えている。マナカードをはじめて手にした日には、想像もしていなかったこと。
マナカードの出版までして、会社まで経営しているのだから、人生というのは本当に自分の想像とは違った方向に行くものです。

いつも、「たまたまそうなってる」という私だから、あまり、「こうなりたい!」とか「絶対にこうなってやる!」という意気込みはないし、今後もどうなっていくのか検討もつかない。
きっとまた、意外なことになっていくのでしょう。
それがどんな道であったとしても、「自分が本当に今生でやるべきこと」に向かってちゃんと進んでいっているように、と願っている。

(2006年11月6日)
 
タレントの神田うのさんが、婚約披露記者会見で、こんなことを言っていた。
「彼は、私の以前付き合っていた彼氏たちに感謝してるって言ってくれてます。その間、君を守ってくれていたんだからね、って」
それを聞いて、守るってなんだろう?って思った。
これを読んでくださっている皆さんは、人と人との関係で、「守る」「守られる」っていうことを実感するときってどんなときですか?

たとえば、私はアカデミーの仕事では、なんでも相棒と2人でやっていますが、何かのときに表立って責任を取るのは、代表である相棒。アカデミーを設立するとき、「なにかのときには私が責任を取る」と代表という立場を背負ってくれたのは相棒だった。
だから、私はとても守られた存在だと感謝している。
私が家族との関係で一番「守られている」と感じたときは、父が亡くなったとき。
お葬式のことや、人が亡くなって生じるさまざまな面倒で複雑な作業を、全部兄がやってくれた。父という、自分を守ってくれていた存在がいなくなったことで、自分の背中の羽が1枚もぎとれてしまった気がしたけど、兄や母という存在が、なにかのときには助けてくれる、という点では、私はとても守られた存在なのでしょう。

でも、人と人との関係で「守って欲しい」と思うことは私にはほとんどありません。
もちろん、助けてもらいたいときには、助けてもらうけれども。
守って欲しい、って思いながら人と付き合っても、依存になってしまうような気がする。
守るってなんだろう? 難しいですね。

1つ前の日記で阿木曜子さんのお話を書いた。
今日もまた、阿木さんと宇崎さんが夫婦でインタビューに応じていた。
「夫婦というより同志」という2人は、「死ぬときも一緒に死にたい」のだそう。
残すのも残されるのもイヤなんですって。
そして、「来世でも絶対に一緒になりたい!」と2人とも言っていた。
すごいなー。お互いに自分のやりたいことをやって、サポートしあって、格好いい。
そういえば、船越英二さんが、奥さんの一代さんに対して、「僕はあなたを看取ってから死にます」って言っていた。こちらも素敵。
いろんな夫婦のカタチがありますね。
お互いに、守り守りあっているのでしょうか・・・。

(2006年11月15日)

 
マナカードのアドヴァンスクラスで、あるカードについて話をしていたときに、恋愛の話になった。ある生徒さんが、自分のお姉さんにはどういう人が合うか、とカードを引き、「癒し系の彼」という結果になったそうなのだけど、お姉さんはいつもその反対の人と付き合ってしまい、その結果上手くいかないのだとか。

自分の好きなタイプと、実際に付き合う相手は必ずしも一致しない。
本当はこういうタイプが合っているのに、なぜかいつも違うタイプに引かれてしまう。
本当に自分に合っている人を選べるようになるまで、何度も同じタイプでつまづいてしまう人もいる。ドリルの問題集と同じで、クリアするまで、また同じレベルを繰り返さなくてはいけない。
そのレベルをクリアしないと、次にはいけないから。
私もそれを経験した。私が好きになるタイプというのは、大体が、バリバリ仕事をしていて、世界を飛び回っているような人。年上で頼りになるタイプ、だった。
ところが数年前のある日、あるニューエイジショップの店長さんと話をしていたときのこと。
そのときにデートしていた相手も思い切りそういうタイプの男性で、その男性の話を店長さんにちらっとしたところ、「アロヒさん、あなたはどうしてもそういうタイプに惹かれやすいですし、そういうタイプの男性もあなたのところに惹かれてきます。でも、そこにあなたの幸せはありませんよ」とズバっと言われた。私は、もうかなり目からウロコ!
みなさんにも、そういう経験はありませんか?(笑)

結婚や恋愛で出会う人には、カルマを残している人が多いよう。
特に結婚は、カルマ解消にはうってつけ!(笑) だって、人間関係の中では、結婚が学びが一番多いでしょう? だから、前世で敵同士だった2人が結婚することも多いそう。
そういう場合、第一印象で、「いやだな」とか、「この人はありえない」など、悪い感情を抱きます。
もちろん、すべての人がそうなわけじゃない!
カルマとか関係なく、ただただ一緒になることを約束したカップルもいます。

で、明らかにタイプじゃない人に恋をしてしまうことがある。
冷静に考えると、ルックスも好きじゃないし、いろいろと問題も多いのに・・・。
私はそれを「カルマミラクル」と呼んでいる(笑)。
カルマを解消するためには、相手に興味を持ち、関係を持たなくてはいけない。
そうなってくると、男女の場合は恋愛をするのが一番の早道。
相手の顔に「遮(シャ)がかかる」というか、軽くモザイクがかかるというか(笑)、なぜか好きになってしまう。2人の間にいろいろなことが起こり、「もう別れたい」とか「この人のここが許せない」とか思いつつ、「別れなくてはいけない」ことをうすうす気がついてはいても、どうにもできなかったり。
まだカルマの解消が済んでいないときには、別れる決意をしたところで、また2人の仲が近づくような出来事を神様が用意してくれちゃったりして・・・(笑)。
私にも経験があるけど、後になって思うと、「なんであんなに好きだったの??」と不思議に思ったりするものですが、その渦中にいるときは、自分の力ではどうにもならないのです。
過去のつらすぎた恋愛の相手を思い出すと、好みじゃない人ばっかり!!(笑)
恐るべし、カルマミラクル!

みなさんも、カルマミラクルに遭遇してしまったときはつらいですが、がんばって乗り越えてくださいね!(笑)

(2006年12月18日)
 
今年も1年、いろいろなことがあった。
一番大きかったのは、やはりマナカードのネット占いが始まったことでしょうか。
Yahoo、 So-net 、NIFTY 、ODN、 4つのプロバイダーにて次々とスタート。
監修者として名前が出るため、この私のHPも新たに生まれ変わり(制作者のみなさん、ありがとうございます!)、公式ブログもスタート。
有名占い師として紹介されることもあり、とうとう私も占い師になったか・・・、と複雑な心境もちらり。
有名でもないし、占い師でもないのだけれど・・・(笑)。
しかし、マナカードを広めるためには、そんなことにこだわってはいられない。
今年も多くの女性誌、各媒体にて紹介していただき、取り扱い書店、ショップさんでの売上も上々。本当に感謝感謝です。

ライターの仕事、マナカードを教えること、セッションをすること、フラを教えること、たくさんの活動を通して、本当に多くの人たちと接する。
そんな中、実感したことは、小さなこともちゃんと大切にすること、がとっても重要であること。
小さなことを大切に出来ない人は、多くのことを成し遂げることができないと思う。
たとえば、メールのやりとり。
いろんな人からメールをいただく。講座の申し込み受付などはスタッフがやってくれるけれど、マナカードに関する細かい質問やセッションのことなどは、できるかぎり私が直接お答えしている。
ブログやHPを見て下さった方々や、生徒さんからのメール、取材依頼などなど。
私は基本的にメールは読んだ時点で返事を書く事にしている。
後で、と思って置いておいて忘れてしまったらいけないし、迅速かつ丁寧を心がけているから。どんなメールにも必ずお返事するし (無視は人間として絶対にダメ!!)、お返事に時間がかかりそうなものに関しては、(例えばなにか調べなくちゃいけないとか)「また改めてメールします」と一度お返事を出して、改めてメールする。
メールのやりとりを通して感じたことは、「出しっぱなし」とか「もらいっぱなし」、「最終的なお返事がない人」が多いこと。
たとえば、質問のメールがくる。そしてこちらからお返事する。
そうすると、それっきりお返事がない。それじゃあメールが届いたのかも読んだのかもわからない。
「わかりました。ありがとうございました」、そのひと言が来ない。
メールだからこそ、一方的ではなく、相手を思いやってやりとりしなくちゃいけないと思うのですが。
「先生、こんなことあってこう思うのですが、どうでしょうか?」とメールがくる。
それに対してお返事する。すると、それっきり。そういう人が多いのは悲しいことです。

去年の12月にハワイ取材に行ったときのこと。スポンサーのHさんが一緒だったのだけど、Hさんは若くして(30代半ば)会社をいくつも経営している実業家。
Hさん曰く、毎日300通近くのメールが来るそう。1つのメールに5分で返事をしたとしても、何時間もかかる。そんな忙しいHさんは、ハワイから成田に着いたらすぐに飛行機を乗り換えて韓国で仕事。返事は来ないだろうと思いつつ、お礼のメールを出すと、次の日にはちゃんとお返事が着た。
レストランで食事をする時間がないほど忙しかったハワイ取材の中、ちゃんと奥さんとお子さんにお土産も買っていた。「忙しくて一緒に過ごす時間が少ないから、家族がぶーぶー言ってるよ」と言いながら、それを埋め合わせするようにたくさんお土産を買ってたHさん。
それだけの器を持っているからこそ、大きなことができるし、成功できる。
私は「忙しい」を理由にするのは好きではない。忙しくても、できる人はできる。
寝る時間を5分削れば1通のメールが出せるし、1本の電話ができる。
私の友人で超人気漫画家のMさんは、睡眠時間が3〜4時間の毎日でも、ちゃんと連絡くれるし、毎年年賀状もくれるし(ちゃんと手書きで一筆添えられている)、ファンレターをくれた人たち全員に年賀状を出している。世界中を飛び回っているデザイナーの友人は、お世話になった人たち全員に、会った直後に手書きのお礼状を出すのを習慣としている。

一事が万事、なのだと思う。
仕事ができる人は、プライベートも上手くいっている。
細かな気配りができる人はメールのやりとりもきちんとできるし、人を大切にしているから人からも大切にされる。そういう人は多くの人から支持されるから、仕事もプライベートも上手く行く。

結局、器の大きい人というのは、小さなことを大切にできる人なのだと思う。
私も、この4年くらい、本当にいろいろなことがあって、たいぶ大人になった(笑)。
多少のことでは動じなくなってきた。もっともっと器の大きな人になって、仕事もプライベートもアロハな人生にしていきたいと思っている。
今年もたくさんの人たちのおかげで幸せな1年でした。本当にありがとうございました。

(2006年12月31日)
  
あけましておめでとうございます! 2007年もどうぞ宜しくお願い致します。

年末年始は家でのんびり。普段見ないようなテレビ番組も観ていた。
その中で印象に残ったものの一つが元サッカー選手の中田ヒデさんを密着した番組。
世界中を旅している中田さんの姿を、本人のインタビュー付きで紹介していた。
中田さん曰く、「サッカーのおかげで得たものもたくさんあるし、失ったものもある」。
失ったものの一つが「感情を表に出すこと」。確かに、中田さんはいつもインタビューなどでは無表情。「多くの人に見られるため、感情を出すことができなくなった」と語っていた中田さん。わかる気がします。自分の言ったことが違うニュアンスで伝わることも多いマスコミの世界。その中で自分を防御するには、無表情でいることが最善策だったのでしょう。
アジアの貧しい地域を訪ね、子供たちにサッカーボールを寄付している中田さんの、子供たちと一緒にボールを追いかけている姿はとても活き活きとしていた。
言葉は通じなくても、子供たちに微笑みかけ、コミュニケーションを取っている中田さんの目はとーっても優しく穏やかだった。
あー、この人は本当にいろんな経験をしてきて、自分ひとりでいろんな重荷も背負ってやってきたんだな、と実感させられた。これだけの器を持っているからこそ、人々に注目されるような存在になったのだろうし。

もう一つ印象に残った番組。それは細木数子さんが芸能人を占う番組。
ゲストに元X-JAPANのYOSHIKIさんが出るというので、思わず観てしまった。
実は私、昔X-JAPANの大ファンで、何度かコンサートに行ったことがある。それに、私がスピリチュアルな本を読むきかっけになったのがYOSHIKIさんだった。私がまだ10代後半だったころ、YOSHIKIさんのインタビュー記事を読んで、かなり衝撃を受けた。かなりスピリチュアルだったし、目からウロコだった。それに、ボーカルのTOSHIさんがシャーリーマクレーンの本の話をインタビューでしていたり。それがかなり私の人生に影響を与えた。
YOSHIKIさんといえば、その才能もさることながら、かなり破天荒な性格で有名。(私が以前仲よくしていた仕事仲間の彼氏が元Xのメンバーだったので、裏話をよく教えてもらっていた)。
それというのも、彼が10歳のときに父親が自殺。それを発見したか目撃したかしてしまった。だから、彼の書く詩はすごく刹那的。、余談だけれど、YOSHIKIさんはかなりの不眠症で、どんなに愛する人と一緒でも同じベッドで寝ないのだと以前聞いたことがある。

今ではかなり性格が円くなったようではあるけれど、かなりの芸術家肌であることは間違いなし。
そんなYOSHIKIさんが「結婚はしたい」とおっしゃったのでちょっと意外! すると細木さんは、「この人は難しいと思いますよ」とひと言。そのワケは「これだけの繊細でわがままな人を支えようと思ったら並の女性じゃ無理。それに、大抵の女性は彼に会うと、きゃ〜、YOSHIKIさ〜ん、となってしまうのでダメ」。う〜ん納得! 「素敵〜」と目がハートになってしまうレベルの人では到底釣り合いませんものね。「でもね、いるのよ、そういう器の女性が絶対に。その年まで独身だったんだから、そのレベルの人を見つけて有終の美を飾りなさい」と細木さんは力強く締めくくっていた。
才能があるって素晴らしいことだけど、あまりにも才能がありすぎたり、カリスマ性がありすぎると近寄りがたくなってしまう。結構天才に孤独な人が多いのはこういうことなのかもしれない。
YOSHIKIさんの才能や世界観、哲学、そして繊細さや破滅型の性格、全部受け止めることができる、器の大きい女性がどこかにいるのでしょうね。

器って、持って生まれたた大きさと、経験を伴って大きくなっていく器と両方があると思う。
元々器が小さい人もいると思うけれど、経験や努力で大きく出来る。
そして、器の大きさは、年齢とは比例しない。年をとっていても器の小さな人はいるし、若くても器の大きな人もいる。自分がいろいろ大変なときは、自分より大きな器の人と一緒だと楽。自分に余裕があるときは、自分より器が小さい人と一緒でも何も感じないのだけど、自分が大変なときはちょっとしんどいかも。
でも、小さくても大きくてもどちらにしろ、器の大きさが違いすぎると疲れますよね。
同じくらいの器を持っていて、お互いに支えあうのが一番いいかな〜と思います。

器の大きさ、目で見えたら面白いのにね(笑)。
私の器はCカップですとか言って(笑)。

(2006年1月3日)
  
とても悲しいお別れがあった。
ハワイのパパが亡くなったのです・・・。
ハワイの姉さんから、あまりにもいろいろ大変だったので、連絡が遅くなってごめんなさい、とメールが届いた。
週に2回透析に通っていましたが、去年の9月にパパの家にステイしたときはとても元気だった。
亡くなった日の朝も、友人たちと朝食を食べ、その午後に透析に行っき、その透析の待ち時間、看護婦さんたちが「眠っているのだろう」と思ってしばらく気が付かなかったほど、とても静かにひっそりと旅立ったそう・・・。

私の中で、ハワイとパパは切り離すことができない。
私のハワイでのステイは、ハワイのパパの力添えによって実現したし、実の子と同じように扱ってくれて、大切に大切にしてくれた。
私のハワイ留学中に、ママが亡くなってしまったときも、終始落ち着いた態度で、私に悲しい顔を見せることはしなかったし、私を不安にさせることも一切なかった。
いつもいつも私は甘えてばかりだった。
私のために費やしてくれたお金も時間も、膨大なものだったと思う。
なんの恩返しもできなかった。お葬式にも出られませんでした。。。
私の実父が亡くなった後、ハワイのパパに「私にとってただひとりのパパだから、長生きしてね」と言った時、「ここは君の家でもあるんだから、いつでもステイすればいいんだよ」と励ましてくれました。 もうハワイに行っても会えないなんて、ぽっかりと大きな穴が空いてしまった。

実は、いつだったか忘れたけれど、パパが夢に出てきたことがあった。普段、夢に出てくることはないから不思議に思ったのだけど、夢の中でとても元気だったから「ああ元気なんだな」と思ってしまった。
本当に大切な大切な人だった。
ハワイに行く楽しみが、張り合いがなくなってしまった。
またハワイに悲しい思い出ができてしまった。
大切な人はどんどんいなくなってしまう。

「千の風になって」が大ヒットしている。
魂は永遠です。肉体が死んでも、魂は私たちを見守ってくれています。
誰かが亡くなると、そんな言葉を口にする人たちがいる。
それは本当にそうだし、否定するつもりもない。
でもね、それはわかっていても、おさまらない悲しみがある。
生きていた時以上に、そばにいてくれているだろう。そうは思っても、肉体を持った状態の相手に会えないさびしさは、どうにもできない。
会いたい、話したい、触れたい。
甘えたいし、頼りたいし、声を聞きたい。
ある本に書いてあった。「人は悲しみを永遠に忘れることはできないけれど、悲しみを持っている自分に慣れるもの」。慣れていくしかない。時間が経つのを待つしかない。
私が、今まで、大切な人たちを何人か失くした経験を通して感じたこと。それは、悲しみの経験者は、悲しみの渦中にいる人に対して、あまり多くの言葉をかけないということ。
悲しいとき、言葉は使えば使うほど、薄っぺらくなるもの。
少しの言葉と、心からの共感。悲しんでいるときは、それが一番心地いい。

今はただ、天国に行ったパパの幸せを祈るだけ。
ハワイのママとパパ、そして私の実父、その他、私の亡くなった知人たち、みんな天国で自由に羽ばたいて、楽しく宴会でもやっていることでしょう。
ありがとう。本当にありがとう。

(2007年2月25日)
   
2007年4月、オアフにて、やっとハワイのパパのお墓参りができた。
ハワイのお姉ちゃんシャロンと、お姉ちゃんのパートナーのグレッグ、私の3人でお墓へ向かう途中、空にはダブルレインボー。「よく来たね」ってパパが言ってくれているのかなぁ・・・。
お墓には、私の留学中に亡くなったハワイのママがいて、そこに、先日亡くなったパパが加わっていた。プレートに2人の名前が刻まれていて、今頃天国で2人は一緒だから、幸せなのだろうな〜、と思いながらも涙が次から次へと浮かんだ。
「このプレート、私も今日始めて見るのよ! オーダーしてから時間がかかってたの! 私とグレッグ以外で、このプレートを見るのはあなたが始めてよ!」とシャロン。
そして、涙いっぱいの私の背中をずっと撫でながら、励ましてくれた。
パパが亡くなって、私の何十倍も悲しくてつらいはずなのに、私を励ましてくれる、シャロンはほんとにそういう人。

「パパが好きだったリケリケドライブインで夕飯を食べない?」というシャロンの提案で、リケリケへ。リケリケに着くと、「私もダディが亡くなってから、ここに来るのは初めてなの。今まではこれなかったんだけど、今日は良い機会だわ。娘2人でダディを祝福しましょう」。シャロンはそう言ってくれた。
そして、「ダディが座っていたところに座りたい?」と聞いてくれて、(ちょうど空いていた!)「ここの椅子にいつも座っていたのよ」と私を座らせてくれた。
シャロンとグレッグは5月に結婚が決まっていて、おのろけ話をたくさん聞かせてくれた。
そんな楽しい時間の中にも、いるはずの人がいない。幸せであればあるほど、楽しければ楽しいほど、寂しさが浮き彫りになってくる。
「今、幸せ?」シャロンに聞いてみた。
「幸せと喪失感」シャロンは答えた。
「物事って必ずそういうものよね」。そう続けたシャロンが、とても強く見え、それゆえに儚げに見えた。

グレッグとシャロンは、とっても明るくてユーモアいっぱい。2人と一緒にいると、いつも笑ってばっかり。2人には、たくさんのシンクロがあるそう。たとえば、シャロンはドイツ人と日系人のハーフで、日本に1年留学したことがある。グレッグは、米軍の勤めていた関係で、日本に8年も住んでいたことがあり、祖先はドイツ人だそう。さらに、2人ともサルサが大好きで、お互いにダンスパートナーを求めていた。同時に同じ言葉を言ったりすることもあるそうで、他にもたくさんのシンクロがあるそう。2人とも再婚同士なのだけれど、やっと本当の相手に出会った、と感じているそう。
パパがいなくなっても、グレッグというシャロンを愛してくれている人がそばにいてくれていて、本当によかった!
パパがいないハワイはとってもさびしいけれど、パパの愛情は私の中でずっとずっと生き続ける。ハワイに行くたびにパパを想う。永遠にパパを愛しています。

「これでいつでもリケリケを思い出せるよ!」とグレッグがリケリケのTシャツをプレゼントしてくれました

(2007年4月23日)
 
先日、友人が主催しているある会に行ったときのこと。
ある女性がいろいろなことを胸にしまいこんでいて、それを吐き出させてあげるために、音楽をかけ、言葉を投げかけてあげる、という手法が行われた。
みんなで彼女を癒すために、泣いている彼女を抱きしめてあげたり。
そこにいたほとんどの参加者が、感動で、もしくは慈しみの気持ちで泣いていた。
見渡すと、泣かずにケロっとしていたのは私だけ。

いろいろな経験を重ねてくると、めったに泣かなくなるもんだなぁ、と実感した。
テレビを見たり、小説を読んだりして泣くことはある。
でも対人となると、セラピストの仕事をしているといろんな人と接するから、いちいち泣いたり同情したりしていては、仕事にならない。
そのへんは、お医者さんと同じだと思う。
お医者さんも、どんなにひどい病気の人を相手にしていても、常に冷静でいないと身が持たない。必要以上にクールになる必要はないけど、どんな状況にいても、ブレない自分でいないと駄目。
それに、自分が困ったとき、相手にどうしてもらいたいかというと、「心配」するよりも、「信頼」してもらいたいって思う。
心配や同情のエネルギーって、役に立ちません。それって、マイナスのエネルギー。
「あなたなら大丈夫」というプラスのエネルギーを送ってもらいたい、って思う。
「大丈夫?」ではなく、「大丈夫!」。
「かわいそう・・・」ではなく、「大変だったね。でもあなたなら大丈夫」と応援のエネルギーを送る。
それが私の理想です。

(2007年5月27日)
 
67.謙虚さ
有名になればなるほど、活躍すればするほど、謙虚に謙虚に・・・・。
こんなことを感じることが最近いろいろとあった。
ある会に参加したときのこと。そこはみんなでシェアする場所なのに、一人だけ「主役のエネルギー」で来てしまう人がいた。
私の知っている人に、自分がちやほやされると上機嫌だけど、他の人に注目が集まると、つまらなそうな態度になってしまう人もいる。
自分に自信がある人は、決して目立ったり自慢するようなことはしない。
最近、却って謙虚に控えめにしているほうが、逆に人をひきつけるものだ、そう感じさせる人がいた。ホクレア号のキャプテン、ナイノア・トンプソン氏。
ホクレア号とは、古代の伝統的な航海術を再現したカヌー。今年は、日本の沖縄・熊本・長崎・福岡・山口・広島・愛媛(宇和島)・横浜に寄港した。
ナイノア氏はかなり有名で、どこに行っても、みんなから写真やサインをせがまれ、マスコミから取材される機会も多い。
それなのに、いつもとても地味で控えめで、目立たないようにしている。
横浜での入港歓迎セレモニーで、ナイノア氏は何回も強調していた。
「自分が代表としてここに立っていても、私はスタッフの1名にすぎない。この航海は、クルーたちと、支えてくれた大勢の人々全員で成し遂げたものだ」と。
謙虚で控えめな人柄が伝わってきた。

セレモニーでは、横浜の高校生たちが和太鼓を演奏したのだけど、それについても「彼らの演奏を見れば、彼らがどれだけ今日の日のために練習してきたかがわかります」というナイノア氏。これにはじ〜んときた。「素晴らしい演奏でした」その程度の言葉なら誰でも言える。でも、彼らの演奏を聴いて、彼らのこれまでの努力までもちゃんと汲み取ってあげられるナイノア氏、素晴らしい!
ナイノア氏は、他のクルーたちを全員前に立たせて、自分は目立たないように後ろに下がって、他のキャプテンに挨拶をさせたり、華やかな場を必要としない人だった。
これだけ有名になっても、「あくまでも自分はスタッフの1人にすぎない」と何度も繰り返すナイノア氏の姿は、多くのことを教えてくれた気がする。
そして、ナイノア氏は日本人のことを「平和を実現していく強さを持ったひとたち」と称していた。
「日本人は、長崎、広島、あれほどのひどい目に遭っても、その思いを、憎しみではなく、平和へと向けていくことができたのだ」と。

活躍している人ほど、それを誇示するようなことはしない。そして、そんな人柄だからこそ、多くの人が指示し、サポートする。そして、そういう人のすごいところは、その人柄に触れた人の心さえも変えてしまうこと。ナイノア氏のそばにいて、ナイノア氏の人柄を感じた人なら、自慢したり傲慢になるようなことは絶対にないはず。身をもって、ただ佇んでいるだけで、周りの人を変える。服を脱がすのが北風ではなく、太陽であるように。そんな人に私もなりたい。

(2007年6月16日)
 
感情的になるのが一番いけない、そう学ぶような出来事が何度かあった。
ビジネスでも、プライベートでも、何かが起こったときに、感情的になって怒ったり攻撃したり、一方的にまくしたてたり、そういう人がたまにいらっしゃる。
そういうとき、こっちができることって、常にポリアフでいること。
ポリアフとは、ハワイの雪の女神さま。マナカードでは、ポリアフのカードは「不動の強さを持つように」というメッセージとして使われている。
ハワイ神話では、火山の女神が雪の女神ポリアフに戦いを挑むのだけど、怒りを爆発させるペレとは対照的に、ポリアフはじっとただ立っているだけで、ペレの溶岩を凍らせてしまう。格好いい!
ジタバタエネルギー燃やすより、冷静に状況を見ているほうが難しい。
私も、ここ数年、何度かそういう場面に遭遇した。そのたびに、「ポリアフになって」と自分自身に問いかける。

攻撃してくる人っていうのは、怖れを持っている。怖れているから、武器を持つ。自分を守ろうとして攻撃してくる。そういうときは、ただこちらは受け止めるしかない。そういうときに反撃することは、相手のレベルと一緒になってしまうこと。
だから、あえて、何もしないで、ただ受け流す。
感情的になるのは本当によくない。たとえ、相手がとても失礼なことを自分にしたとしても、だからって感情で相手に訴えるのは駄目だと思う。
それと、よく、「伝えたいことがいっぱいあって、熱くなって語りまくっている人」がいるけれど、それもあまり効果的だとは思えない。
熱くなって語れば語るほど、聞いている人の心は引いていくと思う。私なんて、「あー、熱くなってるなぁ」って観察しちゃう。そういうふうに語られた言葉って、心に染み入ってこないですもの。本人の情熱とか、思い入れとか、そういうものが強すぎると、聞いている方は疲れてくる。
だから、熱くなるのは気持ちとしては理解できるんだけど、あくまでも、冷静に穏やかに、センタリングした状態で語らないと、伝わるものも伝わらないと思う。

何があってもポリアフで、センタリングしている自分でいたいと思う。

(2007年6月20日)
 
私のフラの生徒さんの旦那様が亡くなった。
最近、若くして旦那様を亡くす女性がとても多いですが、なぜなのでしょう・・・。

人生で、愛する人を亡くしたとき、友人や知人たちから慰めの言葉をいただく。その慰めの言葉って、本当に難しい。私も、経験があるけれど、その慰めの言葉で傷つくことがある。
特に、スピリチュアル好きな人ほど、言葉でいろいろ言いたがる。
今でも忘れられない、イヤだった言葉。
父がICUに入っていて、いつ死ぬかわからなかったとき。
「今、お父さんはそうやってカルマの解消をしているのでしょう」と言われたこと。
父が亡くなって、家にお焼香に来てくれた人が
「魂は生まれ変わるってわかってるから、自分は誰が死んでも悲しくない」と言ったこと。

スピリチュアル業界で働いていたから、仕事関係の人たちから、いろんなその手のことを言われて、一時期私は、スピリチュアル大嫌い人間になった。
自分が一番悲しかったとき、慰めてくれたのは、スピリチュアルなんてぜんぜん知らない友人たちだった。
相手が悲しみにあるときにかける言葉って本当に難しい。
「元気だしてね」→元気出せるわけがない。
「魂は永遠だから」→そんなのはわかってるよ。
「あの世から見守ってくれるよ」→わかってるけど、肉体を持った状態で会いたいんだよ。
正直、そんなふうに感じてしまったこともある。

だから、悲しいことをたくさん経験した人ほど、言葉が少ない。ただただ、「わかってるよ」「体を大切にネ」という温かい目で見てくれる。経験していない人ほど、言葉でなんとかしようとする。
だから私は、悲しみの渦中にいる人には、言葉で接するより、態度で示したいと思う。

そして、悲しみにいる人、苦しみの中にいる人には、本人の気持ちにただただ共感することが一番の慰めだと思う。絶対に、反対のことを言ってはいけないと思う。たとえば、「元気が出なくて」というせりふには、「そうだよね、元気でないよね」と共感する。決して「元気出して」なんて言わないほうがいい。「悲しいんだよ」というせりふには、「悲しまないで」じゃなくて、「悲しいよね、悲しくていいんだよ」って共感する。「頑張って乗り越えてください」じゃなくて、「今はただ悲しんでいればいいんだよ、頑張らなくていいんだよ」って。それが一番なんじゃないかと思う。

(2007年7月28日)
  
お金持ちな人って、世の中にはたくさんいると思うんだけど、その中でも、高い服を着て、いつもおしゃれをして、高級な家に住んで、高級車に乗って、高いレストランで食事して、っていうタイプの人もいるし、反対に、質素に暮らしている人もいる。
この前、所ジョージさんの沖縄の豪邸の様子をテレビで見たけれど、それはそれは広い敷地の中に、プライベートビーチまである!
でも、建物はというと、とてもシンプルだし、本人はというと、いつものようにTシャツとGパン。
料理上手な奥様がお食事をふるまっていましたが、奥様もいたって普通。
「自分たちはあんまりここに来ないんだけど、友人たちが使ってくれればいいし」なんて気前がいい。
ああ、いいな〜、こういう感じ!

あるテレビで、元モーニング娘・石黒彩さんを密着していましたが、彼女も自然体。
普通にママチャリに乗ってる!
芸能人なら、車で移動が普通なのに、彼女はチャリンコに電車。服装もGパンとかだし、爪にはマニキュアも塗ってなかった。
いいな〜、自然体!

お金を何に使うかっていうのは、その人の価値観だと思うけど、私がもしもお金持ちになったとしても、自家用ヘリとかいらないし、家も一軒でいいし、高いお金出して超高級レストランとかも行かないだろうと思う。
もっと、自分だけじゃなくて、周りの人も豊かで幸せになるようなお金の使い方をしたいな。
それがなにかは、まだ具体的にはわからないけれど。
だって、自分ひとりが幸せでも、全然楽しくないものね。
みんなで幸せにならないと、つまらないもの。

(2007年8月27日)
 
先日、テレビ番組「オーラの泉」に、あるゲストが出演していた。そのゲストは、過去に想像を絶するような悲劇を味わった人で、そのときの苦悩を語っていた。今でもその悲しみは消えていない、と語るその人に、ホスト役である美輪さんが、「正負の法則」を説いていた。
つまり、芸能人として華々しく成功して、芸能人として活躍する人と結婚し、子供ももうけた。その光の部分を味わったということは、逆に負の部分も訪れるのだ、ということ。
それを聞いたゲストは、「うーん・・・、それにしてもひどすぎた」と納得できない顔をしていた。
それを見たとき、「正負の法則」という言葉は、とても難しいと感じた。
そのゲストは、一生かかっても消えないくらいの悲劇を味わった人です。その悲しみに対して、「正負の法則だから」という言葉は、あまりにも酷な気がしました。

たとえば、今とても不幸のどん底にいる人に対して、「今これだけの苦労をしているということは、これからは良いことがあるよ」というふうに、希望を持たせる励ましの意味で「正負の法則」を使う分には良いと思う。けれど、「正負の法則なんだから、今が不幸でも仕方ない」という意味合いで使うのでは、その人の気持ちは決して晴れないし、却って気分が暗くなるのではないかしら・・・。
美輪さんは、本当に過酷な、波乱万丈な人生を送ってきた人だと思うし、いろいろ乗り越えてきたからこそ、その人生経験で語っているのだと思うけれど、人間は誰しもが美輪さんみたいに強いわけではない。その人その人に合わせた励ましの言葉、慰めの方法があると思う。
だから、もちろん、「正負の法則」はあるのだと思うのだけど、その言葉がすべてを解決するわけではないと思う。同じように、「すべては必然だ」という言葉も、苦しんでいる人に対しては酷な言葉だと思う。確かに、必然で起こったことかもしれないけれども、でもそれによって苦しんでいるわけだから・・・。

良いことがあったから悪いことがある、そんなふうに正負の法則を捕らえてしまうと、恐怖を感じてしまう。幸せの最中にいるときに、「じゃあ、悪いことが起こるんだ!」って思ってしまう人もいるかもしれない。だから、正負の法則っていう言葉は、私はあまり好きではない。
「人生良いこともあれば、悪いこともある」、そんな感じで軽く捕らえていたほうがいいように思う。

(2007年10月17日)
 
自分のやっていることに、100%の自信がありますか?
こう聞かれたら、私にはYesと思い切って言える自信がありません。
最近、引き寄せの法則、が流行しているけれど、この引き寄せの法則を実践するのは、自己信頼することが必要だなって思う。
つまり、疑わない自分、絶対に自分の望どおりになるという確信、自分の望みをちゃんと自分でわかっているという自信。
私にはそれが難しい。たとえば、「ハワイに住みたい!」という望みを持っていたとする。
でも、「果たしてハワイに住むことが本当に自分にとって幸せなのか」というと、もしかしたら違うかもしれない。よく、理想のパートナーについて具体的に夢見ている人がいるけれど、果たしてそういうタイプの人が本当に自分に合っているのか、その人はちゃんとわかっているのだろうか?って思う。良いことも悪いことも引き寄せてしまうのが宇宙の法則だから、絶対に間違っていないという確信があれば、思い切って引き寄せてみたいと思うのだけれど・・・。

先日、ある地方の組織から、講演依頼がきた。とっても悩んだけれど、お断りさせていただいた。その決断に対しても、「本当にお断りしてよかったのだろうか?」と気になっている私は、自分の決断に対して確信が持てていない。つまり、自分に自信がないということ。
引き寄せの法則を実践するためには、「もう一人の自分を作らないこと」と友人のチャネラーが言っていた。つまり、「こうなって欲しい」と思うと同時に、「でももし無理だったらどうしよう」と思ってしまう自分。そんな自分を作らないこと。それは結局、自己信頼をできるかどうか、なのだと思う。自己信頼って難しい。まだまだ勉強中です・・・。

(2007年12月18日)
  
以前、正負の法則についてこのひとりごとのページに書いた。先日、「オーラの泉」で、また美輪さんがある有名人へ言っていた。「有名になって活躍したから、正負の法則で、それは仕方ないですよ」って。私は美輪さんは好きだけれど、いつもその手の発言には違和感を感じる。
だってそれって、「有名になること」が「良いこと」ということが前提になっていますよね。
有名になることってそんなに良いことなんだろうか?
確かに、芸能界で仕事をするなら、有名にならないと仕事が来ない、そういう意味では有名になることは良いことなのだとは思う。
でも、有名になることイコール幸せではないですよね。
有名になることが幸せだという価値観の人もいるかもしれないけど。
有名になることって、正直私には怖い。
あることないこと言われて、何をするにも人の目を気にしなくてはいけなくなる。
マナカードのネット占いの監修者になったとき、顔写真やプロフィールやコメントが各プロバイダーやネット占い業界にバーンと出て、ちょっと怖かった。もう逃げられないっていうか、責任とらなくちゃとか(笑)、嫌がらせとかきたらどうしようとか。
私は有名になんかならなくてもいいし、自分の好きなことを好きなようにできる今の状況が一番幸せだと思っている。

(2007年12月31日)
 
2008年が始まりました。今年もよろしくお願いします!

2007年は12月に沖縄で女神サミットなるものが催され、出演させていただきました。
6月に私の沖縄でのマナカードワークショップを主催してくださったISLAND JAMのひろみさんが企画、主催したイベントだった。(6月の様子はこちらのページの「ヤハラヅカサ〜神秘の奉納」をご覧ください)
今回も、いろいろなアーティストが集まり、それぞれ演奏、舞を披露。たくさんの出会いがあった。いつも思うだけど、こういったイベントで知り合う方々には、すぐに心を開くことができる。
私の心に一番印象に残っているのは、2003年の竹生島。(こちらのページの「竹生島」をご覧ください)ここでの出会いが私の人生にかなり影響を与えている。
大体、奉納イベントのときっていうのは、みんなお互いに忙しくて、あまり自己紹介とかしている時間がない。出演者は自分の演目に対して集中しているし、スタッフは自分の仕事に忙しい。地方でやるときは大体、1泊とか2泊したりするけれど、そのときも、改めて自己紹介するようなことはほとんどないし、気が付いたらなんとなく喋っているという感じ。名刺交換なんかをやるようなこともほとんどない。なんか、いきなり名刺を出すという雰囲気ではないし。
竹生島のときは2泊したけれど、もう毎日がバタバタで、繋がっていたいなと思う人が何人かいたけれど、お互いに違う地域に住んでいたり、連絡先交換の機会がないままさよならになってしまった。ところが、縁がある人って言うのは、ちゃんと出会うものなんですね。
違う地域に住んでいるのに、ある場所でばったり会ってしまったりする。
共通の知り合いがいて、約束もしていないのになにかの機会に会えてしまう。
ご神縁にて出会った人というのは、本当に縁があるのだと思う。だから、約束しなくても、必要なときには会うし、ちゃんと縁が続くようになっている。そして、年齢も性別もまったく関係ない付き合いが出来る。親と同じような年齢の人とも親友みたいになれるし、男性でもまったく意識しないで付き合える。

私はこれを経験してからは、人との縁に関して焦らなくなりました。
縁があれば絶対に会える。そう信じてるから。
今年もそんなご縁の方々と出会えるでしょうか。。。

(2008年1月4日)
  
年末に悲しいお知らせが届いた。クリスマスの朝に、私が昔好きだった人が亡くなった・・・。
もう何年も会っていないけど、幸せでいてくれることを願っていた人。
まだ若くて、その人との恋愛が生活のすべてだった頃の私。
一緒に過ごした時間、悲しいこと、楽しいこと、いろんなことを思い出した。

500人もの参列者が彼との別れを惜しんだと聞いたとき、涙が止まらなくなった。
そして、そんなに多くの人に愛された人と関わりを持てたということを幸せに思った。
「もしも結婚していたら、今頃私は夫を失っていたんだな」って、心のつぶやきを口に出して言ったとき、友人がこう言った。「でも、『もしも』ってないんだよね」。
そうだよね、妙に納得した。「もしも」、なんてない。
「もしも」って思っていたらキリがない。
いつだって、自分にとって最良の決断をしてきているはずだし、それを信じないでどうする!?

2007年は、突然亡くなる人が本当に多かった。私の周りだけでも5人も・・・。
みんな、本当にある日突然だった。
そんなとき、身近な人間はどうしてもこうやって自分を責める。
「もしもあのときこうしていたら・・・」
でも、そんなふうに思っちゃダメ。「もしも」なんてない。
自分の人生を振り返ったとき、「もしもあのときこうしていれば」って後悔しちゃう物事って、いくつもある。でも、そんなふうに考えたら自分がかわいそう。

私はいつだって、自分と関わっているすべての人に、幸せでいてもらいたいと思っている。
講座を受けてくださる方々、フラの生徒たち、友人知人、家族。会うのがたとえほんの1回だけでも、出会うということはご縁があるということだから、精一杯接していきたい。そして、みんなに活躍してもらいたいし、幸せでいてもらいたい。協力できることはさせてもらいたいと思っているし、お互いが幸せでいれればいいなって思う。心の底からそう思ってる。
だから、願わくば、自分もみんなも、後悔のない人生を歩めればいいな。
「もしも」という言葉は、未来に使うだけで、過去には使わないようにしたいと思う今日この頃です。

(2008年1月6日)
  
とてもありがたくラッキーなことに、いろいろなイベントに出させてもらったり、ワークショップをやらせていただく機会が多い。自分の名前がチラシやHPなどに出るたびに、身の引き締まる思いがする。なぜなら、お話を受けた時点で私には責任というものがあるから。
具合が悪いから、都合が悪くなったから、などと言って変更したり、キャンセルするわけにはいかない。体調管理も仕事のうちのひとつだから、普段から気をつけている。
私には著名人と言われる友人が何人かいるが、彼らの講演会のギャラはすごい金額!
2時間くらい喋るだけで、それだけの金額をもらえるなんて、楽でいいなと思う人もいるかもしれない。でも、そのプレッシャーはすごい、とある著名人が言っていた。
「絶対に飽きさせてはいけない、楽しませなくてはいけない」
原稿をあらかじめ書いたり、何度も自分の中で話を組み立てる。何百人もの人を相手にしなくてはいけない。主催者の人を満足させなくてはいけない。そのプレッシャーが重くのしかかり、最近では講演会は断っているという著名人もいる。

芸能人はよく、「親の死に目に会えない」って言うけれど、そういう覚悟をしていないとできない仕事だと思う。自分の名前で人が集まるような講演やコンサートであればなおさら、責任がつきまとう。
お客さんがチケット代を払うようなイベントならさらに責任も倍!
責任の重さとギャラの高さは比例するものなのかな(笑)。
もちろん、どんな仕事に関しても責任を感じるけれども、やはり大きな仕事っていうのはのしかかる責任感も大きい。そして、その分、お金だけじゃなくて、得るものも大きい。
たくさんのプレッシャーをかかえても、成し遂げることができるような器の人間になっていけたらいいな。

(2008年1月9日)
   
この世に存在するどんなことが罪で、どんな罰が下るのだろう?
サイキックな友人に、「バチは当たるのか?」と聞いたら「当たらない。当たると思っている人には当たるけど」という答えが返ってきた。
つまり、「こんなに悪いことをしてしまって、自分には絶対に悪いことが起こる」と思っている人には、その思いが「悪いこと」を引き寄せるから、バチが当たるということになる。

たとえば、私の知っている人で、家庭を二つ持っている男性がいる。でもそれって、たとえばイスラム圏のように一夫多妻が許されている国では、罪にはならない。でも日本ではそれは罪ですよね。法律が違えば、罪の意識も違う。
私の個人セッションを受けてくださるクライアントの方々でも、不倫で苦しんでいる人は結構いる。夫がいるのだけど、他に好きな人ができてしまってというパターンもあれば、自分は独身だけど好きになった人には家庭があって、というパターンもあり。それは本当に苦しいことだろうと思う。ただ、宇宙規模で見た場合、相手が結婚しているとかしていないとか、同性か異性かとか、年齢の差だとか、そんなことはどうでもいいことだと思う。真の愛情というのは、そんなことを超えると思っている。
不倫はいけないことって言われているけれど、結婚という制度がなかった大昔では、そんなの関係なかったはず。 ただ、それで誰かの気持ちを深く傷つけるのだったら、そこにはカルマが生じるのではないかと思う。
イスラムでも、「妻たちを平等に扱えないのであれば、一夫多妻はするべきではない」と教えているし。

殺人だって、誰かに虐待されていて、こっちが殺さなくちゃ自分が殺されるような正当性のあるものであったら、神様だって罰しない気がする。
この世に悪があってこそ、善というものを知ることができる。そういう意味では、悪人と言われる人々だって、その役割を担っているのであって、罪深い人ではないのかもしれない。
本当に誰かのために、愛ゆえにやってしまったのなら、それを罪だと言い切る権利は誰にもない気がする。

(2008年1月12日)
 
78.教えること伝えること
教えることは学ぶこと、そう実感する。
主にハワイ文化を教えている私だけれど、教えるためには日々勉強。
学んでも学んでも学びきれない。いつまで続くのー?って途方もない。
ハワイに行くたびに、ハワイ文化の本を買い、ハワイアンのCDを買いあさる。
それでもまだまだ足りない。
そして、生徒さんたちの姿から学ぶことも多い。
交通費をかけ、時間をかけ、お金をかけて来てくださる。
その熱意、努力から勇気を貰い、支えられる。
本当は、教える者と教えられる者の間には、差なんてない。
たまたまそのような立場で出会っただけ。お互いに支えあっているのだと思う。
こんな私でもついてきくれる生徒さんたちがいる。
そして生徒さんたちは私に学ぶ機会、成長する機会を与えてくださる。
本当にありがたいと思う。

何年か前までは、教える立場になるなんて想像もしていなかった。人生って不思議。
最近は、人前で踊りたい欲っていうのがあまりない。
昔は、いろんなショーで踊らせていただいたり、自分でライブをやったことも何度かあった。
でも最近は、人前で踊ることに対して、そこまでの情熱がない。
それは多分、踊ることだけじゃない表現の場を見つけたから。
文章を書くこと、教えること、いろんな形で伝えることができているからなのだと思う。
世の中には、いろんな表現方法がある。歌、踊り、文章、演劇、スポーツ。
みんながそれぞれの得意な方法で伝え、表現していっている。
そして、自分が興味を持つ分野に触れることで、それを感じていけばいいのだと思う。

(2008年1月16日)
  
79.自分のタイミング
今までの自分の人生を振り返ると、かなり自由に生きてきたと思う。
なかなか自分のやりたいことを見つけられなくて、もがいて苦しんで落ち込んでいた期間が長かったし、動きたいのに動けない時期も経験したから、今の自分は本当に幸せだと満足している。
私にだって、こんなんでいいの?って焦った時期はあった。
友人たちが普通に就職し、普通に結婚して、普通に子供を産み・・・。
母親からもプレッシャーがかかる。世間一般での「平均」からは外れた自分。
会社員になって、夏と冬にはボーナスをもらって、花金には同僚たちと飲みに行って、っていう普通の生活はできなかったけど、自分の人生はこれでよかったのだと思う。

プロレスラーのジャガー横田さんが、テレビで何度かこう言っているのを見たことがある。
「自分は結婚も出産も遅かったけど、これが自分の人生のタイミングだと思っている。45歳で子供を産んだけど、自分は母親になる器になったのがこの年だったのだと思う」。
遅いのではなく、それが自分の人生のタイミングなんだっていう表現が、素敵だなって共感。
人と比べることなんてない。
自分にとってのタイミングで生きていけばいい。
最近は確信を持ってそう思えるようになった。

(2008年1月16日)
   
80.勢いがあるよりも…
仕事も趣味も恋愛も、勢いがあるときより、淡々と、もしくはちょっとずつ気長にやるほうが長く続く気がする。フラやマナカードの講座なんかでも、「絶対に習いたいです!」とものすごい勢いで、情熱的に語る人ほど、それっきり来なかったりする(笑)。逆に、「この人、楽しいのかなぁ?」って感じるくらいの人のほうが、長く通ってくれたりする。
サロンをやっている人も、同じことを言う。「また来ます!」とノリノリの人ほど、それっきり来なくて、淡々としている人のほうが常連さんになってくれたりするそう。
恋愛でも、最初から燃え上がる出会いって、続かないことが多い気がする。ひと目でビビっときて、とか、好きで好きで仕方ない〜、みたいな出会いって、カルマ的な出会いが多いから、一緒にいても苦しいことや大変なことが多い。結構きつい恋愛だったりする。
その逆で、最初は別になんとも思わなかった〜、みたいな出会い方のほうが続いたりする。

思えば、私と相棒の新井の関係も、最初はさっぱりしたものだったと思う。共通の友人がいて知り合ったのだけど、お互いにハワイが好きで、その点では気があった。でも、だからといって、メールもそれほど出し合っていたわけではないし、最初から超仲良しってわけでもなかった。それが、だんだんと距離が近くなり、一緒に会社までやることになったのだから、人生は不思議。
会っていくうちに、ちょっとずつ仲良くなった感じだから、決して最初から盛り上がったわけではなかった。だからこそ、長く続いているのかもしれない。
占星術師の人が言っていたけど、ホロスコープで夫婦の相性を見ると、案外さっぱりとしている相性が多いのだそう。結婚するからといって、劇的な星の巡り合わせだったりするとは限らないらしい。

人生には勢いが大切なときもあるけれど、長く続けたいときは、ちょっとずつ、がいいですね。

(2008年1月29日)
    
「もっと楽に生きなよ」。サイキックな男友達M氏から言われた言葉。
時々、彼から胸をズキューンって射抜かれるような言葉をいただく。彼はこうも言った。
「どうしてもっと自分自身のことだけに集中しないの? もったいないよ」
ときどき、この2つの言葉が頭の中でこだまする。
確かに、私はいつも周囲のことを気にして、誰かのことを心配して、気持ちが漂ってしまうクセがある。
「他人のことなんかどうでもいいんだよ、もっと自分のことを考えなさい」とM氏から言われたとき、ほんとだよな〜って反省した。
思えば私は子供の頃からそうだった。
あるアメリカ人サイキックリーダーいわく、「他人の感情やエネルギーを吸い取ってしまうスポンジ」な体質である私は、他人の感情と自分の感情の区別がつかないこともあった。
今は強くなったのでスポンジではないのだけど、相変わらず他人のことに気を取られてしまう。
「もったいない」とM氏から言われたとき、今まで考えもしなかったから、びっくりした。
ほんと、人のことなんか気にしてる場合じゃないよね。もっと自分に向かわなくちゃ、って反省。 

さらにM氏に言われた。「アロヒさんは、完璧主義だから」。
自分ではそんなつもりがなかった。
後で相棒の新井に聞いてみたら、「アロちゃんは完璧主義だよ〜」と当然って顔で言われた。
自分のことはわからないものである。そしてこのセリフに繋がった。「もっと楽に生きなよ」。
もっといいかげんでいいんだってことなんだよね。もっと自分にいろいろ許してあげていいんだよね。

以前、冗談で、「私って繊細だから〜」と言ったとき、ある人から「そんなの見ればわかります」と言われ、ショックだった。そう見られたくなかったから。
感受性が高いだとか、繊細であるとか、言われることがあるけれど、そう見られるのはイヤだったりする。
もっと、なんてことない風にいろんなことをやってのけているような感じに見られたい。
白鳥が、水の下ではバタバタやっているけど、平然と優雅に泳いでいるような、そんな風に。
先日も、ある人から「いろいろ気を使ってたよね」と言われ、これまたショック。
そう見られているということは、私が気を使っているのが周囲にバレバレであるということで、それって恥ずかしいな、って思う。
そんな自分がイヤで仕方ない、と言ったとき、「そうやって細かいことに気がつくっていうのは、アロちゃんの良さでもあると思うんだよ」と相棒の新井は言ってくれた。
「もっと自信持ちなよ」とは、相棒からよく言われる言葉。
「もっと楽に生きなよ」の言葉とともに、私の課題。

(2008年2月3日)
人は見た目で判断するものである。
人は見た目じゃないよ、っていう言葉もあるけど、でもやっぱり見た目の影響は大きいし、人の目につきやすいのは、中身じゃなくて見た目のほうが大半だと思う。
たとえもし私がどんなに踊りの名手であったとしても、髪はボサボサ、顔はシワシワ、体つきも最悪、着ているものもセンス悪い、なんて状態だったら、誰も私の踊りを見たくないと思うし、どんなに素敵に踊っても感動しないと思う。
見た目が人に与える影響って、多大だと思う。

社会で成功している人って、そのへんをきちんとわかっている人が多い。
たとえば、成功している男の人は、靴は絶対にピカピカに磨いていたり、時計は良いものをつけていたりする。ある友人が言っていたけど、一流のひとたちと仕事をするときは、良いボールペンを持つようにしているそう。そういう小さなことで、相手のこちらを見る目が変わるそう。
たとえば、すごい一流の人が、安いものを見につけていたら、「案外庶民的」と好印象を与える場合がある。でも、一流じゃない人が安いものを見につけていたら、そのまんまなんですよね(笑)。
別に高いものを見につける必要はないんだけど、あまり安っぽいものを見につけるのは、ある程度の年齢までくると、イケてない気がする。

テレビ番組「ソロモン流」を見ていると、成功している人たちって、食事に気をつけていたり、体を鍛えている人が多いですよね。すごく忙しいののに、合間をぬってジムに行ったり、毎朝マラソンをしていたり。今まで覚えている人だけでも、メイクアップアーティストのRUMIKOさん、IKKOさん、青山フローリストの社長さんや、バイオリニストの寺井尚子さん。名前は思い出せないけど他にもたくさんの一流人たちが、体を保つために日々努力している。すごいなぁって思う。

生徒さんたちって、よく先生のこと見ている。あのときあの服着ていたとか、あのとき顔色があまり良くなかっただとか、あのときこんなことをしていたとか。びっくりするほど見ている。
だから、せめて見苦しくないように、と気をつけているつもり。
見た目で判断されて損をしないように、と思っている。
見た目で良い判断をしてもらい、さらに中身でも、っていうのが良いですよね。

(2008年2月7日)
 
83.理解されたい欲
「人間には、基本的な欲として、食欲、睡眠欲、性欲のほかに、認められたい欲というのがあると思う」と、友人であり漫画家の美内すずえさんが言っていた。
私は、そこに、「理解されたい欲」というものもつけ加えたいな、と思う。
人はみんな、「人から理解されたい」と思うものなのじゃないかなぁ。
以前、このエッセイのページで、「必要とされること」というエッセイを書いたけれど、必要とされないこと、そして、理解されないこと、ほど悲しいことはないと私は思っている。

私が、「理解されていること」を感じた体験といえば・・・・・・。
私の大好きな友人の一人に、演出家をしている男性Cがいる。Cは、「とにかく人間が好き」な人で、いつだって人を理解しようとしている。「それは失礼なのでは?」と思うような態度の人にさえ、明るい態度で接し、「いろんな人がいるよね〜」と笑っている。
人の話をじっくりと聞き、積極的に人と関わり、誰にでも平等に接し、どんな人のことも理解しようとする。そして、その人の良い面を引き出そうとする。そんな人だからこそ、演出家という仕事ができるのだろうし、その世界で成功しているのだと思う。私は彼を、一人の人間としてとても尊敬しているし、こんな人になりたいと常々思っている。

そのCとの出会といえば、、会って5分で意気投合し、そのまま夜中の3時まで話し込み、その1週間後にはCの別荘に遊びに行っていたという、電撃的なものだった。
前世では兄と妹だったということもあって、会った瞬間から、お互いに親近感の塊だった。
魂の縁ということを覗いて、私はなんでこの人のことをこんなに好きなんだろう?と考えるとき、それはきっと、Cが私を理解してくれるからなのだと思う。
別荘に遊びに行ったとき、「疲れているなら、ここでのんびりしていくといいよ」と、リビングの電気を消し、ほんのりとした照明だけをつけ、ゆるやかな音楽をかけ、他の部屋へ姿を消したC。
ちょうどその頃私は、いろんなことで悩んでいるところだった。

「M(私の本名)さんは、相変わらず頑張っていることでしょう。くれぐれも体を、心を、そして自分を大切に」。しばらく連絡をとっていなかったCからの久しぶりのメールにこう書いてあったときは、その優しさに思わず涙したっけ。
そして、久々に会ったCから、「別荘に来たとき、背中に大きなもの乗っけてたよね〜。Mさんは責任感が強いから頑張っちゃうんだよね、きつそうだったよ〜。でも今は元気そうでよかったよ〜!」と笑顔で言われたと